90年代後半になると、1イニング限定の抑え投手が主流になった。その代表格と言えるのが佐々木主浩だ。落差の大きいフォークボールは、打者に2ストライクまで追い込まれたら終わり、と思わせた。横浜を38年ぶりの日本一に導き、MLB移籍後も絶対的な存在となった「大魔神」を史上最強とする声は多い。

 豪腕タイプの多い抑え投手で、サイドスローからのシンカーを武器に、日米で歴代2位の通算286セーブを記録したのが高津臣吾(ヤクルトなど)。同時代に活躍し、歴代4位の228セーブの小林雅英(千葉ロッテ)はスライダーとシュートが武器だった。

 外国人投手の抑えも印象に残る投手が多い。サファテの前に外国人最多セーブの記録を持っていたクルーンは、当時のNPB最速記録となる162キロのストレートに「クルーン劇場」と呼ばれたスリリングな投球内容など、話題が多い抑えだった。アジア人では、先発でも活躍した台湾の郭源治や韓国の至宝と言われた宣銅烈(いずれも中日)、林昌勇(東京ヤクルト)、呉昇桓(阪神)などの名前が挙がる。その他にもギャラード(中日)、ペドラザ(福岡ダイエーなど)、サンチェ(巨人)など、個性の強い外国人抑え投手は数多くいた。

 日本人でも、鹿取義隆(巨人など)、大野豊(広島)、赤堀元之(近鉄)、豊田清(西武など)、馬原孝浩(福岡ソフトバンクなど)など、時代ごとに個性豊かな抑え投手がいた。今や先発投手を超える評価を受けることもある抑え投手は、年々その重要度を増している。

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