緒形は翌年の大河ドラマ「源義経」にも弁慶役で出演、人気はとどまるところなく上昇していく。映画やテレビからも出演依頼が引きも切らず、マネジメントする劇団は情け容赦なく仕事を詰めこみ、緒形の肉体は悲鳴をあげていた。そんな日々が続き、緒形はついに退団を決意する。垣井氏はいう。

「緒形は師匠の辰巳柳太郎、島田正吾を父親以上に尊敬し新国劇を大切にしていましたが、ハードなスケジュールで肉体的に限界に来ていたと思います。憧れの新国劇退団を決意するまでは精神的にたいへん苦しい葛藤がありましたが、当時の状況からは退団の道しかなかったと思います」

 辰巳柳太郎、島田正吾という名優の期待に背いた緒形に、団員から「裏切り者」「恩知らず」の罵声が浴びせられ、メディアの批判も受けたが、「良い俳優になって恩返しをします」という以外、緒形はひと言も弁明しなかった。

 緒形はその後、数え切れないほどの演技賞を受賞し映画・演劇界のトップクラスのひとりとなった。

「良い俳優になって恩返しをします」という公言どおり、緒形は1980年8月、新国劇公演「極付国定忠治」に出演した。辰巳の国定忠治、島田の川田屋惣次、そして緒形の山形屋藤造。退団してから十二年という月日が経過していたが、緒形は両恩人と共演しすることによって新国劇に恩を返したのだ。(文・植草信和)

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