「ディレクターとアーティストは、絶対に先生と生徒の関係になったらだめ。アーティストのほうが、音楽の中にたくさんのものが見えている。そのアーティストが作品をつくる、手助けをするのがディレクターの役割だということを忘れてはいけない」
長戸氏のこの言葉を寺尾氏は肝に銘じていたのだ。
■スタジオでのお気に入りの出前はチャーハンと餃子
レコーディング・スタジオに、坂井さんは家族と一緒に住む家から小田急線で通っていた。
「ビーイングの所属アーティストは、結構電車でスタジオに通っていて、坂井さんも例外ではありませんでした。彼女には、いわゆる“アーティスト・オーラ”を消す才能があったのか、混んだ電車に乗っていても気づかれなかったようです。『負けないで』が売れても、『揺れる想い』が売れても、ずっと電車移動。レコーディングは夕方にスタートすることがほとんどでした。レコーディングが深夜に及んだときはタクシーかスタッフの車で送ります。ただ、1990年代後半は自分で車を用意して、運転手を雇用していました。彼女は音を徹底的に追求するので、レコーディング時間がどうしても長くなったので。自分で運転できればよかったのかもしれませんが、彼女はペーパードライバーでした。大阪でのレコーディングや撮影にももちろん電車です。1人で新幹線に乗って、キャリーバッグを転がして来ました」
100万枚を超えるヒットを連発しても、坂井さんの生活が派手になるようなことはなかった。ごくふつうの20代女性の感覚を失わなかったからこそ、多くのリスナーが共感できる歌詞をかけたのかもしれない。
食事も、特別なものではなかったという。
「シンガーとしての、食べるものへの気遣いはありました。レコーディング中は特に。時間、内容、量……。歌うために何がいいか、どのくらいのペースで食べるのがいいか、いろいろと試していましたね。六本木のスタジオバードマンの時は、最初は外苑東通りにある叙々苑の焼肉弁当です。マッドスタジオでレコーディングしていた頃は、スタジオの近くにあったグッデイというお店でBLTサンドイッチを頼みました。時代は後になりますし、ごくまれですが、大阪でレコーディングしたときは、心斎橋の明治軒でオムライスを頼みました。そして、1990年代の後半に行き着いたのがチャーハンと餃子でした。高級なフカヒレチャーハンとかではなく、ごく一般的な五目チャーハンです。そして、歌の合間に少しずつ食べます。冷めても気にせず。加減に個人差はあるものの、シンガーは喉に少し油を与えるといい状態で歌えます。たぶん、チャーハンと餃子の油分は彼女の喉にちょうどよかったのでしょう。逆に、スタジオでは、ウーロン茶は口にしませんでした。歌に必要な油分を喉から洗い流してしまう心配があるそうです」