没後10年となるZARDのヴォーカル・坂井泉水さんを偲び、命日の5月27日、多くのファンが東京・六本木に設けられた献花会場を訪れた。『負けないで』『永遠』など誰もが口ずさめる大ヒット曲を多く残しながら、その短かった40年の人生は謎のヴェールに包まれている。坂井さんが所属したレコード会社でマネージメントオフィスのビーイングで、彼女のレコーディング・ディレクターを長年、務めた寺尾広氏が、その知られざる一面を明かしてくれた。
* * *
「実は私、ずっと寺尾さんがトラウマだったんですよ」
坂井さんにこう言われて、レコーディング・ディレクターの寺尾氏はキツネにつままれたような気持ちになった。
「えっ?」
寺尾氏はあらためて坂井さんの表情を見つめる。
「私のデビューの時のことです。覚えてますか?」
「いえ……」
「そばにいてほしいの、を私、1週間ずっと歌った」
「あっ、そんなこと、ありましたね」
「あれ以来、寺尾さんの顔を見る度に、私、またたくさん歌わされるのかな!?って思って(笑)」
言われたのは2005年ごろだった。
「坂井さんがZARDでデビューした1991年から、僕はいろいろとレコーディングに携わってきました。でも、15年の間、まったく気づきませんでした」
寺尾氏が坂井さんと出会ったのは、ZARDのデビュー直前。坂井さんが気を遣わないようにと、総合プロデューサーの長戸大幸氏が若手スタッフを中心にZARDのスタッフを編成したときに召集された。
「坂井さんの第一印象は、おとなしそうな女性、かな。姿勢がよくて、凛としていました」
それからまもなく、デビューシングル「Good-bye My Loneliness」のレコーディングがスタートする。
「声量がすごくて、コンソールのヴォーカルのメーターが目一杯振れていた。おとなしそうな容姿とのギャップが大きかったことをよく覚えています」
驚きだった。寺尾氏のモチベーションのメーターも振り切った。
「『Good-bye My Loneliness』の、<だから今は そばにいて欲しいの>、というフレーズの一番高いところの『て』が、坂井さん、当時は安定していなくて、何度も録音し直しました。カップリング曲の『愛は暗闇の中で』はすぐに録り終えたけれど、『Good-bye My Loneliness』はその部分だけでも一週間掛かりました。最後は、頭蓋骨を響かせるような声がポン!と出て、OKになりました」
その時のことが、坂井さんにとっては、キャリアを通してのトラウマになったと打ち明けられたのだ。
「あっ、いえいえ、でも、あの一週間があったから、その後の私があると思っているんです」
坂井さんは顔をほころばせた。
「申し訳なく感じました」
寺尾氏は反省した。というのも、長戸プロデューサーに念押しされていたのだ。