ジャーナリストの田原総一朗氏は、終戦の1945年8月15日当時、国民学校初等科(現在の小学校)の5年生だった。その日の正午に天皇陛下の玉音放送が行われ、田原氏の人生はガラッと変わった。田原氏は、「その日は、いわば私の人生の原点である」と振り返る。
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この年の1学期までは、この戦争は侵略国である米、英、オランダなどを打ち破って大東亜の国々を独立させる聖戦だと教えられた。
「君らは大東亜を解放するために一日も早く軍人になり、天皇陛下のために死ね」
担任教師、校長、そして市長などラジオに登場する偉い人たちも、異口同音にそう繰り返した。
ところが、2学期になると突然、日本の戦争は悪の象徴のような侵略戦争であり、1学期までは英雄だった東条英機など国家の指導者は平和を乱した犯罪者ということになった。そして1学期まで押し戴いていた教科書には墨が塗られた。夏休み中に、世の中の価値観は百八十度変わったのだ。
「戦争は悪いことだから、君らは戦争が起きそうになったら命をかけて阻止せよ」
こう繰り返されるようになった。
この体験で、国家とは大ウソつきで、偉い人の言うことは信用できないと思った。その上、日本は独立後も戦争の総括はしないままだった。
それは、昨年の原発事故でも変わらなかった。この国では、責任ある立場の人間は総括ということをしないものらしい。そう骨身に焼き付けられたのが我が原点で、それは現在もいささかも変わっていない。
※週刊朝日 2012年8月31日号