――つまり不倫ではないという法的な“お墨付き”、配偶者からの“公認”を得るということですね?

秋山「だからこの関係は長く続くのです。たとえばある40代主婦の場合、彼女が急病に見舞われた。でも夫は仕事が多忙で付き添えない。そこで登場したのがセカパ相手の男性です。彼が仕事を切り上げ、病院に付き添い、彼女を家まで送り届ける。それに対し、夫も妻のセカパ相手男性に礼を言い、後日、食事に誘う――まさに“家族ぐるみ”でのつきあいです」

――そんなセカパを持つ人の配偶者の心理がよくわからないんですが……

秋山「セカパを持つ人の配偶者もまたモラリストといいましょうか。配偶者が『(相手と)一線を超えていない』というのだから、それを信じている、もしくは内心では疑っていても、事を荒立てないことで『器の大きい自分』をみずからの配偶者やそのセカパ相手に見せつけているという一面はたしかにありますね」

――そうした既婚同士の交際がなぜできるのでしょうか?

秋山「家庭でのパートナーは配偶者、でも人生でのパートナーはセカパという考え方をする人たちだからでしょうね。それと彼・彼女らを見ていて共通する3原則があります。それを守っていれば、たしかにこうした交際も可能だなと思える節があります」

――その「セカパ3原則」とはなんですか?

「『もめない、取らない、でも離れない』――この3原則を守れば、夫婦とセカパ、双方の関係は良好で穏やかにならざるを得ない。いうなれば、配偶者を含めて腕を組む3者といいますか、その夫か妻の片方の手はセカパとしっかりと繋がれていて、互いに見つめ合っているような関係です」

●いびつだけど現実な関係を続ける彼・彼女たちは幸せか、それとも不幸せか?

 ここでひとつ疑問が沸く。そんな「いびつだけど現実的な関係」を続ける彼・彼女らは、はたして幸せなのだろうか、と。

「幸せ、なのでしょうね。ただし、はた目から見て、さも『幸せに見えるように振る舞っている』ところがすこし透けて見えてきますけどね」(秋山氏)

 セカパを持つ彼・彼女らの多くは、恋愛でも、連帯でもなく、相手の職業や収入、学歴といった「打算で結婚した人が多い」という。だから離婚という選択肢はありえない。なので家庭にあっても「ひとり」で生きている。しかしひとりで生きていく実人生は辛いものだ。

 そこで「人生のパートナー」であるセカパという家庭外にある異性の存在が、人生の一部である家庭をも良好なものにしていく―〈セカンド・パートナー〉という関係には、そんな現代夫婦が抱える「闇」が見えてくる。いつでも、いまでも、男女交際の形が世相を表す。その事実に驚くばかりだ。