だがシーズン初戦だった4月29日の織田記念では、100m予選のスタート直前に右ふくらはぎが痙攣。この予選は11秒93で走ったものの、決勝は棄権した。その影響で4日後の静岡国際の200mと5月8日のゴールデングランプリも欠場というシーズンインになってしまった。
「織田では『また去年と同じように痙攣しちゃった』と思って…。もちろん焦りや不安はあったけど、周りの人は誰一人として焦る様子もなく、普段と同じように接してくれたのに助けられました」
福島がそう話すように、「痙攣はあくまで軽度なものであり、試合の緊張感と、織田は他の競技場より硬いトラックだという意識が心の中に少しだけ怖さを芽生えさせただけ」というのが、周囲のスタッフの認識だった。
そんな不安も5月18日のIAAFチャレンジ北京大会の4×100mリレーを走ったことで薄まり、6月にはポーランドとスイスの2大会出場で払拭した。特に14日のスイスの大会では、気温14度という条件の中で200mを23秒13で走ったことは大きな自信になった。
そんな状況で向かえた日本選手権も、100mは雨の中の向かい風だったうえ、スタートでミスをして11秒45にとどまったが、すでに参加標準記録を突破していて優勝ということで代表が内定。変なプレッシャーもなく、余裕を持って最終日の200m決勝に臨めたことも、日本記録樹立につながった。