その後はウエイトトレーニングも始めて100mでも力を出し始め、大学3年の関東インカレ決勝では10秒05で優勝した桐生の陰には隠れたが10秒21まで記録を伸ばしていた。だがそれから肉離れを起こし、その後も度々ケガをし、昨年の織田記念では桐生や塚原直貴を抑えて10秒37で優勝しながらも足踏み状態を続けていたのだ。
だが昨年秋にケガをしてからは、本格的に体幹部を鍛えるなどの肉体改造に取り組み、今年は100mのスタートも安定。やっと力を出してきたのだ。
本人は200mも走れる選手になりたいというが、昨年はケガで1本しか走っておらず、今年も東日本実業団選手権で20秒49で走りながらも追い風参考記録となって日本選手権の参加標準記録をクリアできなかったため、リオ五輪へ向けての挑戦はできなかったのだ。
だがそれで逆に、初めての五輪は100m1本に絞れる状態になった。所属するドームが、日本人初の9秒台なら1億円のボーナスを出すと発表して話題になったが、本人は「ボーナスのことは考えてもいない」と自然体を崩さない。それでも「9秒9台のイメージはできている」と、リオでの桐生や山縣との決勝進出を目指した先陣争いに意識を向けている。
4×100mでも重要な位置にいる彼にとって、リオデジャネイロ五輪はこれからのスプリンター生活を大きく左右する大会になる。
(文・折山淑美)