「9秒9台のイメージはできている」と自信を口にするケンブリッジ飛鳥(写真:Getty Images)
「9秒9台のイメージはできている」と自信を口にするケンブリッジ飛鳥(写真:Getty Images)
この記事の写真をすべて見る

 6月25日に行われた日本陸上競技選手権男子100m決勝。優勝したのは大会前から注目されていた桐生祥秀や山縣亮太ではなく、3番手と目されていたケンブリッジ飛鳥だった。

 いいスタートを切りながらも30m付近で脚に痙攣が起きた桐生が加速できず、中盤前で抜け出した山縣が勝つと思われたレース。ケンブリッジは武器でもある後半の加速力で追い上げ、山縣に0秒01先着する10秒16でゴールしたのだ。

「自分としてはイメージ通りに走れました。スタート前はみんなピリピリした感じだったけど、僕は緊張もせず、他の人より余裕を持って走れたと思います」

 ケンブリッジは自分の勝因をこう語った。

 これまで無名とはいえ、彼は突然飛び出してきた選手ではなかった。4月29日の織田記念は向かい風2.5mの決勝では山縣に0秒08遅れる10秒35で2位だったが、予選では10秒33とトップタイムを出していた。さらに5月21日の東日本実業団予選では、追い風0.7mの条件でリオ五輪参加標準記録10秒16を大幅に突破する10秒10を出していたのだ。

 周囲に「ついに本領を発揮し始めた」という印象を与えるとともに、山縣や桐生にも「あの爆発力はすごい」と警戒されるまでになっていたのだ。

 父の母国であるジャマイカで生まれ、2歳で日本にきて大阪で過ごしていたケンブリッジは中学から陸上を始めた。その後、東京に移って中3では全国中学200mに出場したが予選落ち。その時テレビで北京五輪で走るウサイン・ボルト(ジャマイカ)を見て、本気で陸上をやろうと思った。

 だが大学の途中まではそれほどウエイトトレーニングをやるわけでもなく、天性で走る感じのままだった。そのため最初に実績を残したのは加速力が有効な200m。高3の全日本ジュニアで優勝すると、大学2年で出た東アジア大会では、同年8月の世界選手権で準決勝に進出した飯塚翔太に競り勝ち、20秒93で優勝。4×100mリレーでも3走を務め、日本学生記録の38秒44で優勝した。

次のページ