愛用のMacBook Air。医師らがつくるオンライン病気事典「MEDLEY」の監修をしている
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 豊田剛一郎さん(ベンチャー経営・医師)は、高校生のときに読んだ本で脳に興味を持ち、医学部を目指した。脳外科医としてスタートした医の道だが、民間企業のコンサルタントとしても歩みだす。医師でありながらベンチャーに足を踏み入れた理由とは。

 発売中の週刊朝日ムック『医学部合格「完全」バイブル2017』では、医師としてベンチャー経営に乗り出した豊田さんに、医学部進学から現在に至るまでのキャリアを振り返ってもらった。

■脳外科の王道ではないところに興味があった

――東京大医学部を卒業したあと、どのような進路を。

 脳に興味があったので、脳外科に進みました。脳外科では、脳腫瘍やくも膜下出血の手術といった分野が花形ですが、特に欧米では脳に明らかな病変がないものでも脳の機能を手術で治す「機能的脳外科」がさかんに行われています。

 機能的脳外科は、国内では主にパーキンソン病の治療がありますが、欧米では精神疾患の治療や人工内耳なども含みます。脳外科の王道ではないですが、こういったところに興味がありました。

――アメリカに留学しました。

 研修医の2年間とその後1年半、日本で脳外科の臨床医をしたあとに1年間、脳の研究のためにアメリカへ留学しました。

 学生時代から海外の医師との交流があったんですが、例えば、ウィーンの大学病院で働いている医師が「次はドイツに行くんだ」といったように、彼らは、国境をまたいだ医師としてのキャリアを考えています。

 自分のやりたいことが国内にあれば国内でやればいいし、海外にあるなら海外でやればいい。選択肢を狭めたくない。機能的脳外科はアメリカのほうが進んでいました。

 だから、アメリカで医師をやろうと、アメリカで臨床医をするために必要な資格を取ったんです。研修医のときは朝6時に起きて勉強をしてからカンファレンスに出ていました。すごく大変でした。

――また別の道を選びました。

 日本の医療はすごくいいんですが、このままではシステムがもちません。維持するためには変わる必要があるけれど、現場の医師には難しい。そんなことを考えていたときに、留学前に、マッキンゼーで働いている大学の先輩(医師)に話を聞きに行き、同じような志の人がうちの会社にはいっぱいいるからおいでよ、と誘われました。

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