3月20日。埼玉県の蕨市民公園は、中央アジアの空気に包まれた。細かな刺しゅうとカラフルな色合いが目を引く、民族衣装をまとった女性たち。手を取り合い、輪になって、太鼓のリズムに合わせて歌い、踊る。彫りの深い顔立ちの子供たちも、かわいらしい衣装を着てはしゃぎまわる。鼻をくすぐるのは、羊肉を焼くスパイシーな香りだ。
この日行われたのは、クルド人の新年を祝うネウロズ祭。蕨や川口など、地域に住む数百人のクルド人が集まった。祭りの前には、故郷で苦しんでいる同胞のために祈りをささげた。
イラン、トルコ、イラク、シリア一帯にまたがって分布しているクルド人は、自らの国を持たない世界最大の民族といわれている。その数2500~3000万人。どの国でも少数派として迫害され、ヨーロッパなど世界各地に難民として逃れる人も多い。日本にも1990年代から少しずつやってくるようになった。
「いま日本で暮らしているのは、1700~1800人くらいじゃないかな」
と話すのは、ユージュル・メメットさん(27)。10年ほど前、シリア国境に近いトルコの町を出て、日本に逃れてきた。
「はじめはヨーロッパに行こうと思っていました。でも途中で立ち寄ったイスタンブールで日本の話を聞いて、考えを変えたんです」
もともと蕨や川口など埼玉県南東部には、外国人の労働力を頼りにする町工場などが多く、外国人を受け入れる素地があった。そんな背景もあり、蕨にはイラン系のクルド人がまず定住したという。彼らを頼って、次々とクルド人が増えていく。いつしか蕨は、クルディスタン(クルド人の大地)とかけて「ワラビスタン」と呼ばれるようになった。
しかし、彼らの立場は難しい。現在の日本は、難民をほとんど認定していないからだ。とくに、親日国であり、日本との関係が深いトルコ政府に配慮していることもあって、クルド人はまず難民と認定されない。クルド人を難民と認めることは、すなわちトルコ政府のクルド人への弾圧を、日本政府が認めることになるからだ。
そのため多くのクルド人は「難民申請中」という状態で、かろうじて滞在許可を得ている。本来なら入国管理局で身柄を拘束されるところを、情状を鑑みて「仮放免」となっているにすぎない。もろい足場の上で、彼らは暮らしている。だからなのか、地域に溶け込もう、日本になじもうという気持ちは強い。