「タック・イレブン」ビルはミャンマー人社会の拠点のひとつだ
「タック・イレブン」ビルはミャンマー人社会の拠点のひとつだ
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将来は日本で美容師になりたいというイェさん
将来は日本で美容師になりたいというイェさん
長年「ノング・インレー」から高田馬場を見つめてきたサイ・ミンゾウさん
長年「ノング・インレー」から高田馬場を見つめてきたサイ・ミンゾウさん

 新宿区高田馬場、戸三小通り。夕刻になるとこの道は、アジア系の留学生でごった返す。日本語学校がいくつもあり、勉強を終えた若者たちが方々に散っていく。そのなかでいま目立って多いのが、ミャンマー人だ。

【リトル・ヤンゴンと珍しい料理写真はこちら】

来日して約3年というイェさん(24歳)もそのひとり。日本語は高校の頃から勉強しており、なかなか達者だ。昼は学校で勉強をして、夜は居酒屋でアルバイト。高田馬場を中心として、新宿や池袋など都内西部の居酒屋ではいま、彼女のようなミャンマー人のアルバイトが急増している。

「時給は日本人と同じ1000円です。生活費のほかにも学費を稼がなくちゃならないし、実家にも仕送りをしたいので毎日働いています」(イェさん)

 彼女たちがつかの間、息抜きをするのは故郷の味を楽しめるレストランだ。高田馬場には20軒ほどのミャンマー料理店が点在し「リトル・ヤンゴン」とも呼ばれている。多民族国家らしく、モン族料理レストラン、カチン族料理レストランなど、民族ごとに分かれているのもおもしろい。ミャンマー少数民族の文化と出会える街なのだ。

 シャン族料理店「ノング・インレー」を経営するサイ・ミンゾウさんは来日15年目になる。日本語は堪能で、在日ミャンマー人社会の「お父さん」のような存在だ。

「昔は軍事政権から逃れてきて難民申請をする人が多かった。でもいまの主役は若い留学生ですね。毎年100人以上の人たちが新入生として来ているのではないでしょうか」

 その理由は、ミャンマーの銀行制度の改革にあった。かつてミャンマーは外貨から自国の通貨であるチャットに両替する際に、ふたつのレートが存在していた。公定レートと、その数十倍の差がある市場(闇)レートだ。軍事政権による外貨の厳しい規制がその背景にあり、裏で流通する外貨の価値がどんどん上昇していったというわけだ。そのため、チャットに国際的な信用力はなかった。

 外国人が日本に留学するためには一定額以上の預金残高が証明する必要があるのだが、ミャンマーの口座にどれだけお金があろうと、チャットでは価値を認められなかった。

しかし民主化の進展によって外国企業が増えてきたことがあり、為替制度の統一が行われた。2012年のことだ。これ以降、留学ビザが下りやすくなったという。

 新宿区で暮らすミャンマー人は約1500人。その多くが高田馬場を拠点にしている。10年前の、およそ倍だ。日本全体で1万人のミャンマー人が暮らしているが、その1割が高田馬場にいることになる。

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