今オフは帰国が噂される日本人メジャーが多かった。具体的に名前が挙がったのが松坂大輔(メッツ→ソフトバンク)、川崎宗則(ブルージェイズ→未定)、田中賢介(レンジャーズ→日本ハム)、中島裕之(アスレチックス→オリックス)。それらの名前が挙がるたびに獲得に乗り出したのが阪神である。中島への提示額は「4年10億円超え」という具体的な数字までスポーツ紙に紹介されていた。
FA権を行使した選手の獲得にも阪神は積極的だ。金子千尋(オリックス)、小谷野栄一(日本ハム→オリックス)、大引啓次(日本ハム→ヤクルト)、宮西尚生(日本ハム残留)、成瀬善久(ロッテ→ヤクルト)、相川亮二(ヤクルト→巨人)、金城龍彦(DeNA→巨人)のうち何人かは移籍先の候補として名前が挙がっていた。彼らのほとんどは、カッコ内に示したように阪神以外の球団への入団や、現所属チームへの残留が決定し、フリーエージェントになった川崎はMLBにとどまる可能性が高いようだ。
阪神は2002年に星野仙一氏が監督に就任して以来、FA選手をはじめとする他球団の主力を積極的にトレードで獲得し、チームを作り替えてきた。05年以降、10年間のベストナインを選出すれば次のような選手の名前が挙がるだろう。
[捕手]矢野燿大(元中日)
[一塁]新井貴浩(元広島)
[二塁]平野恵一(元オリックス)
[三塁]今岡 誠
[遊撃]鳥谷 敬
[外野]金本知憲(元広島)
[外野]赤星憲広
[外野]マートン
[投手]下柳 剛(元日本ハム)
能見篤史
藤川球児
※カッコ内のチーム名は移籍前の所属チーム
これを見ると野手の半分が他球団経由なのがわかる。星野監督就任以前の87~01年までの15年間、Bクラス14回(うち最下位10回)という“暗黒時代”を経験、これを脱したのが「血の入れ替え作戦」だったため、チームを強化するにはFA選手の獲得を含めたトレード作戦しかないと思い込んでいるふしがある。
確かに星野監督は就任2年目にリーグ優勝を飾り、それ以降の11年間もAクラス7回(うち優勝1回)を達成した。しかし、資本を投下した割には強くなっていない。阪神と真逆のチーム作りをしている日本ハムなどは05年以降の10年間で、リーグ優勝4回(日本一1回)、Aクラス7回を達成している。
さて、今季オフに阪神は、お家芸とも言えるFA選手の獲得やトレード作戦の不発が続き、マスコミはそれに対して「どうした阪神」と尻を叩いている。だが、トレード作戦だけが有効なチーム強化作戦ではない。過去10年間、日本ハム、ロッテ、西武、楽天のパ・リーグ各球団は育成を中心に据えたチーム作りで日本シリーズを制している。また、ソフトバンクや巨人も阪神を上回る育成力を駆使して、日本一に輝いている。
阪神のフロントは臆病である。実績のない選手が安定した成績で長いシーズンを乗り切れるわけがない、そんなことを考えているのだろう。今オフ獲得をめざした中島裕之や川崎宗則がどういうプロセスを経て中心選手になったのか、ブレークした年と、その前年の成績を見くらべて実感してみたい。
川崎宗則(ダイエー) 03年当時22歳
02年 36試合、112打数 26安打、打率.232、盗塁 3、打点 8
03年 133試合、493打数145安打、打率.294、盗塁30、打点51
中島裕之(西武) 04年当時22歳
03年 44試合、 89打数 23安打、打率.258、本塁打 4、打点11
04年 133試合、502打数144安打、打率.287、本塁打27、打点90
実績のない高校卒のドラフト下位指名選手(川崎は99年4位、中島は00年5位)をスタメンで起用する監督とそれを支持するフロント、そこに共通するのは勇気である。高校卒をドラフトで獲得して主力選手に育成する上で大切なことは技術の伝達だが、それとともに監督、コーチがその選手を抜擢することが重要だ。誰だって一流になる前は二流なのである。とくに高校卒は頼りない。しかし、川崎や中島を見ればわかるように、モノになったときのチームへの貢献は大きい。補強戦略が機能しなかったことをマイナスに考えず、育成と抜擢というこれまで無関心だった分野に目を向けるいいチャンスがきた、と発想を変えたい。
(スポーツライター・小関順二)