特に電車特急の発着が多い上野駅のヒートアップぶりは凄まじかった。日曜日や長期休み期間は終日、学校がある平日や土曜日も午後になると多くの年少ファンが押し寄せてきた。よりよい写真を撮りたい一心からか、マナー違反を犯すファンも目立つようになった。駅員の粘り強い注意喚起、駅を挙げてのマナー啓発が行われたが、ブームが落ち着いた1980(昭和55)年頃までは列車の先頭部や最後尾に多くの年少ファンが集まる状況が続いた。
■国鉄の周知策も奏功し一大ブームを巻き起こす
国鉄では、戦前から特急列車(客車編成)の牽引機に「ヘッドマーク」(金属製)を掲出する慣習はあったものの、合理化によりヘッドマーク掲出列車は減少。
1975(昭和50)年3月改正以降は、「ブルートレイン」も東京駅始発列車(「紀伊」「いなば」を除く)で細々と命脈を保っているのに過ぎなかった。
もちろんこの特急ブームは自然発生的なものではない。国鉄もその周知にはかなりの力を注いでいた。当時を知るファンによると、国鉄は改正前からテレビや新聞などの各メディアを通じてイラスト入りヘッドマークの周知に努めていたという。この時代、国鉄は定期的に特急列車のポスター(前面写真掲載)を頒布していたが、この改正時のものは前景気を盛り上げる周知が奏功してか、大変な人気を集めたという。また、記念入場券などでもヘッドマークのイラスト、ヘッドマークを掲出する車両の写真やイラストが積極的に採用され、ブーム向上を後押ししている。
前述の通り、これらの動きをシニカルに批評する向きもあったが、それまでの合理化一辺倒から一転して、ファンを意識した遊び心溢れる施策に対しては世間にも好意的に受け入れられ、国鉄関係者の予想を大きく上回るブームを巻き起こしたのだった。
同時に、イラストヘッドマークが入ったタイアップ商品の開発・販売も行われた。国鉄と民間企業とのタイアップは、それまでも行われてはいたが、このヘッドマークの周知には国鉄も相当に力を入れていたようで、缶ビール、清涼飲料水、菓子などさまざまな関連商品が販売されている。鉄道会社がオリジナルグッズを積極的商品化している現代とは異なり、この時代は市中で販売される鉄道グッズは限られており、カラフルなイラストヘッマークが象られた商品は、店頭でもひときわ目を引いたものだ。