1978(昭和53)年10月2日、日本国有鉄道(以下国鉄)は3年半ぶりとなる大規模ダイヤ改正を実施。貨物列車運転距離の削減が行われるなど、当時の国鉄が置かれた厳しい経営環境が反映された改正となったが、この改正と同時に行われた「ある施策」がきっかけとなり、大鉄道ブームが巻き起こったのだった。今回、アラフィフのライター・川崎俊哉氏が当時を回想する。
【写真】イラストヘッド見たさにホームから落ちそうになるほど集う少年たち
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■大好評を博した新施策
昭和53年10月に行われたことから鉄道ファンの間では「ゴーサントオ」と称せられることもあるこの改正、折からの国鉄バッシングが吹き荒れる中での実施だった。事前の世間の関心は冷ややかなものだった。今でこそ、鉄道のニュースは肯定的な文脈で報じられることも多いのだが、当時の国鉄はネガティブな存在として語られることが多かった。
その空気を一変させたのが、この改正と同時に電車特急(愛称幕設置列車)に採用された「イラスト入りヘッドマーク」である。それまで特急列車の先頭部に掲出されるヘッドマークは、元祖電車特急「こだま」以来の伝統である紺色の文字で列車愛称を表記(ローマ字表記は赤色の文字)されるものだったが、この改正から列車ごとに異なるイラストマークが制定された。イラストの絵柄は列車名をモチーフとし、シンプルながらも見た目に楽しく、親しみやすいものが採用された。各イラストはデフォルメが絶妙で、遠目からのイラストの視認性も高いデザイン。
「ひばり」「とき」「雷鳥」などの鳥類はそれぞれの特徴を的確にデフォルメ、「やまびこ」「にちりん」は音や光をイメージ化するなどイラストを見ただけで列車名を想起させるものが多かった。その一方、偕楽園の梅をデザイン化した「ひたち」、木曽路の森林をデザイン化した「しなの」など沿線の自然をモチーフとしたものもあった。さらに、イラストに載る列車名のフォントは斜体がかかり、多くが縁取りが施されており、各イラストには統一感があった。
これに飛びついたのが、当時小・中学生の鉄道ファンたちである。登場後からほどなくしてターミナル駅では、特急列車の写真をカメラに納めようとするファンが大挙して押し寄せるようになった。SLブームの余韻が冷めやらぬこの時代、鉄道ファン(当時は「鉄道マニア」と称されることも多かったようだが)の趣味的活動に対する社会的認知が徐々に広がっていたのは確かだ。だが、年少ファンが集団化してホームに陣取るというのは日本の鉄道史でも、ブルートレインブームと特急ブームが重なったこの時期だけである。