本拠地東京ドームで記憶に残る特大アーチを何度も放った松井秀喜 (c)朝日新聞社
本拠地東京ドームで記憶に残る特大アーチを何度も放った松井秀喜 (c)朝日新聞社

 日本で最初の屋根付き球場・東京ドームがオープンしてから30年余り。天井のスピーカーを直撃する認定本塁打第1号を放ったのは、1990年のブライアント(近鉄)だが、その後、外国人顔負けの“ドームの大きさに収まらない”日本人選手も次々に現れた。

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 東京ドームの天井に計6度もぶち当てたのが、巨人時代の松井秀喜だ。

 1発目は96年9月3日の横浜戦。2対2の8回、斎藤隆から右翼上空に高々と打ち上げた打球は、文句なしの決勝弾と思われたが、高さ約60メートルの天井にドスンと当たったあと、グラウンドに落下し、ライト・ブラッグスのグラブにスッポリ収まった。ローカルルールにより、インプレーで右飛に……。「天井さえなければ……」と悔やまれる“幻弾”だった。

「1本損した?そんな小さいこと言わないよ」と太っ腹なところを見せた松井だったが、皮肉にも同年は山崎武司(中日)にわずか1本差で本塁打王を逃す羽目に……。

 その後、98年8月20日の横浜戦では、野村弘樹のスライダーを右翼に運び、天井をこすりながらも最上段の照明付近まで達する特大弾を記録。99年8月24日の横浜戦では、天井のカメラを直撃したあと、マウンド右に落ちる内野安打。さらに00年9月8日のヤクルト戦では、逆転3ランと思われた右翼への当たりが、天井に当たり、一転犠飛に早変わりといった具合に規格外の珍打球を連発する。

 極めつけは、02年7月18日の横浜戦。7回裏、森中聖雄から右翼上空に高々と打ち上げた打球は、天井の隙間にすっぽり入ったまま、待てど暮らせど落ちてこない。ボールが落ちてこなかったのは、東京ドーム史上初めての珍事で、特別ルールにより、二塁打となった。

 松井は「天井に捕られちゃったね」と残念がりながらも、「あのまま行ってたら?ギリギリ本塁打かもしれないし、ライトに捕られたかも。まあ、(天井から)落ちてきて捕球される(アウト)より、二塁打のほうがいいでしょ」と結果を素直に受け入れていた。

 翌日、“消えたボール”は、バックスクリーン上部の天井裏で発見され、野球博物館に寄贈された。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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