ここに書かれるように、中央公論社は菊池寛を暴行罪で告訴すると言い、はた、菊池寛は中央公論社の嶋中社長と「婦人公論」の福山編集長を名誉毀損で訴えるというのだ。
しかし、この一部始終を聞いて、困り果てたのは、『女給』を書いた広津和郎だった。
菊池寛を怒らせた原因は、自分にある。あんな小説書かなきゃ良かった……どの面下げて菊池に会えばいいのか……と思いあぐねている矢先、水泳競技を見に行こうと神宮外苑を歩いていると、向こうから菊池寛がやってくる。逃げ出すわけにもいかず、菊池に挨拶をすると、菊池が言うのだ。
「どうして、君が、調停に出てくれないんだ」
「菊池、お前、オレに怒っているんじゃないのか?」
「怒るはずないじゃないか、オレと君は友達だろう。オレが怒っているのは中央公論社だ!」
「そ、そそそうか。ぼくは、自分が書いた話でお前を怒らせたんじゃないかと、困ったことになったと思っていたんだ」
「なんだ、この前、久米正雄が調停に行ってくれたんだが、嶋中は、文壇全体を敵にしても、菊池の暴力を許さないと言って引き下がらなかったんだ。君が調停に出てくれれば、嶋中も話を聞いてくれると思うんだが」
こう言われて、広津は、さっそく嶋中を訪ねたのだった。しかし、嶋中は、強硬だった。
「この菊池の暴力は、個人の問題ではなく、これまでのそしてこれからの執筆者と編集者との間にある力関係を正常にするためにも、この問題を公にしなければならないのだ!」と、広津に迫ったのだった。
しかし、これに対して、広津は、それなら、もう『女給』の連載は止めようと言ったのだった。この答えに驚いたのは、嶋中である。
「それは、止めて下さい。みんな続きを楽しみにしているんだから!」
はたして、この一連のことが話題になって、「婦人公論」は追加注文が殺到し、『女給』の連載は、昭和7年2月まで、成功のうちに続いたのだった。

