<御飯を食べてしまうと、
「君、一寸隣りの部屋に行こうよ」と吉水さんが云いました。
 隣りの部屋がどうなっているかわたしにはちゃんと解っていました。もう少し前女中が「お支度が……」というような事を云って、手をついて、お時儀をして引っ込んで行った時から、わたしにはそれが解っていました。それだから身体にスキのないように身構えていたんですの。
「君、一寸隣りの部屋に行こうよ」
 吉水さんはわたしが黙っているので二度云いましたが、わたし何だか可笑しくて堪りませんでした。だってその云い方が余り不器用なんですもの。
「厭です」と云うと、
「そんな事云わないで、一寸でいいから行こうよ」
「昼間っから、そんな事って……おかしいわ」
「いいじゃないか、一寸行こうよ」
「厭です」>(『広津和郎全集 第五巻』〔中央公論社〕所収)

 こんなふうに吉水こと菊池は女を口説いていくのである。これを読んだ菊池寛が、腹を立てないわけがない。

「自分も作家だから、モデルにされることには苦情はないが、扱い方があまりに露骨で、そのうえ歪曲されている。広告文なども実に大げさで、読者の好奇心をあおり立てるものだ」(巌谷大四『瓦板昭和文壇史』時事通信社)とのことで中央公論社の社長・嶋中雄作に宛て、「僕の見た彼女」というタイトルで、自分にも文章を書かせるようにと依頼したのだった。

 もちろん、こんなにおもしろいことはない!と、嶋中は「婦人公論」に菊池寛の文章を載せたのだが、タイトルを「僕と小夜子との関係」と、勝手に改題してしまう。

 この改題に、菊池はカンカンになって憤激し、中央公論社に怒鳴り込む。

 対応に出たのは、「婦人公論」の編集長・福山秀賢だった。

 菊池は、「誰の許可で、あんな題でおれの文章を載せたんだ!」と叫ぶ。

「べつに、誰の許可も受けません。あの方が、我が社として効果的だと思ったからです」
「効果的? なんだと! 執筆者に無断で、社に効果的だからといって、勝手に題を変えてしまうなんて!」
「まあ、そんなに怒ることないじゃありませんか。タイトルが二、三字変わっただけで、内容に変わりはないんですから」
「ふざけたこと言いやがって!」
「ふざけたことって、これくらいのことでいきり立つなんて!」
「なんだと!」と言って、菊池は、福山をいきなり撲り始める。

 すると、そこに社長の嶋中が飛んで来て、この喧嘩を止めさせたという。しかし、このことが新聞にでかでかと出る。

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新聞に書かれていたのは…