■死は永遠を意識できる
「死」をめぐる哲学的思考と建築家の構想力は、相性がいい。著名な建築家による墓地の名作は、内外に数多く存在する。
筆頭として挙げられるのが、北欧の巨匠、グンナール・アスプルンドによる1900年代前半のマスターピース「森の墓地(スコーグスシュルコゴーデン)」だ。ストックホルム郊外の森林と丘を、そのまま生かした景観の中に火葬場、礼拝堂、墓標などが、ひっそりと、おごそかに配置されている。
産業革命以来、鉄とコンクリートの「近代的」な建築が世界を席巻する中で、古典的な情緒をまとった森の墓地は、時を超えて人々の共感を呼び、94年には、20世紀以降の建築として初めて、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
日本でも、槇文彦、伊東豊雄、安藤忠雄、隈研吾ら、当代の一流建築家が、墓園、火葬場、葬祭場などを設計した例は多い。
隈さんは、室内墓所など今日的なものも手がけながら、自身の家のお墓を究極のモダニズムで作ったり、仏壇や棺桶(かんおけ)のデザインに挑戦したりしてきた。
「棺桶は市場性の観点で、まだ商品化は見込めていませんが、いずれ需要はあると思っています。高度成長時代に『死』『老い』は社会から覆い隠されていたけれど、建築家にとって、それらは永遠を意識させてくれるいいテーマ。短期的に消費されるのではなく、長い時間軸で建築を人々に見つめてもらうためのキーワードになります」
隈さんは91年に東京都内で、自動車メーカー・マツダのショールーム「M2」を設計し、その挑発的なデザインがバブルの象徴として、建築界から激しいバッシングを浴びた。バブルが弾けた後、建物は葬祭事業者に売られ、03年に斎場の「東京メモリードホール」として生まれ変わった。
■樹木に遺伝子埋め込む
「完成当時は斎場に転用されるとは思ってもいませんでしたが、そうやって時代とともに命を永らえていくのは、建築の運命として、むしろ望ましい。建築はキラキラするものだけのためにあるのではない」
と、隈さんは肯定的だ。
墓地や葬祭場だけでなく、今は墓標にも革新的な概念が登場している。
バイオアーティスト、福原志保さんとゲオアグ・トレメルさんが04年にイギリスで発表した作品「Biopresence(バイオプレゼンス)」は、バイオ技術により、樹木に故人の遺伝子情報が埋め込まれた新時代の墓標だ。この作品は、先鋭的な発想とともに、そのような操作が、倫理的に許されるのかという物議をかもした。
「議論がわきあがった時点で、作品としては成功したと思っています。死は決して怖いものではなく、生の延長にあるとイメージが変わることで、今を生きる気持ちも強くなる。時代がだんだん作品を許容する雰囲気になってきていることも感じます」(福原さん)
まだ実現には至っていないが、私なら冷たい墓石よりも、樹木の方に親しみを持つし、そこに自分の遺伝子が残るという感覚は、どこかホッとする。さらに、その墓標のあるところが、カッコいい墓地だったら、もっとうれしい。
ちなみに狭山湖畔霊園で、見るからに高グレードな区画の価格をたずねたら、郊外の2DKマンションに匹敵するものだった。現世のビジネス視点でいえば、まさにブルーオーシャンがここにあるのだ。(ジャーナリスト・清野由美)
※AERA 2023年2月6日号