民俗学に造詣が深い料理研究家の柳谷晃子さんは、長崎料理を代表する「卓袱料理」について、江戸時代に鎖国していた中、開港していた長崎に外国文化が影響を与えて生まれたと解説する。 

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 卓袱料理は長崎料理の代名詞で、別名は「和華蘭(わからん)料理」。文字通り、和食+中華+オランダ料理が渾然一体となってでき上がった多国籍料理です。

 海外との交易が厳しく制限されていた江戸時代、長崎の出島に駐在していたオランダ人が、来日した同国人をもてなす料理は「蘭料理」と呼ばれ、日本における西洋料理のルーツとなりました。

 その料理に、黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖・隠元禅師が中国から伝えた精進料理「普茶(ふちゃ)料理」や地元・長崎の食習慣が混ざって卓袱料理の形ができていきました。これぞまさに「ちゃんぽん」ですね。

 普茶とは「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味の禅の用語です。普茶料理では4人で1卓を囲み、青磁の大皿に盛りつけた料理を取り分けていただきます。日本では、時代劇でよく見かける銘々膳が一般的だったので、大皿に盛って取り分けるというのは、まったく新しいスタイルでした。

 卓袱料理のもう一つの特徴は、丸いテーブルを使ったことです。家族で食事をするときでも、必ず家長から序列に従って座っていた日本の習慣を考えれば、さぞ斬新だったことでしょう。

 卓袱の「卓」はテーブル、「袱」はテーブルクロスです。このテーブルが低くなったのが卓袱(ちゃぶ)台。日本人の畳の生活に西洋風のテーブルと椅子はなじまなかったため、脚を短く切って卓袱台にしたといわれています。

週刊朝日 2013年2月1日号