■世界宗教化のプロセス キリスト教と似ている
佐藤:この『池田大作研究』を出したことで、誰と対談をやりたいかとなったときに、僕は一番に澤田さんにお願いしたいと思ったんです。文学を専門とする人と対談したかった。創価学会が支持母体となっている公明党は与党の一角を握っているから、政治的な立場が濃厚な人だと、無意識的であれ意識的であれ、その立場が出ちゃうから、「テキスト」として読んでもらえないと思ったんです。
澤田:確かに。私は100%「テキスト」だと思って読みました。
佐藤:「テキスト外」のところで評価されてしまうと、創価学会におもねっているんじゃないかとか、逆に学会の外の人間である者がなんでこんなものを書くのかとか、いろんな意見が出てくると思う。そのときに、「テキスト」をしっかり読んでくれる人と話をしたいと、こう思ったんです。
澤田:佐藤さんは、本当に宗教的に興味があって、これを書かれたんだなというのが、よくよくわかりました。
佐藤:そうなんですよ。僕はキリスト教徒で宗教が違うがゆえに、創価学会員にとって大切なものがわかるわけです。我々、キリスト教徒にとっても大切なものがあり、そこを侮辱されるのは嫌です。それと同じことだなと。
創価学会が世界宗教化しているというのは本物なんだということも描きたかった。壁を破壊して、社会革命や政治革命を行うということじゃなくて、人間は変化する可能性があるから、壁の向こう側に価値観を共有する人材を作って送り出していく。そのプロセスが面白かったんですよ。キリスト教が世界宗教化していくときのプロセスに似てるなと思って。
澤田:そのお話、非常に興味深かったです。ある意味、ここで創価学会について述べ尽くされた感があるのかなと思ったのですが、明治前後に生まれたほかの日本の宗教、例えば大本(おおもと)や天理教には、関心は持たれないんですか。
佐藤:大本に関しては、高橋和巳さんがこの教団をモデルにして『邪宗門』という大きな古典的な作品を作られているから、たぶんそれを超えるような仕事ってできないと思うんですよ。そして、天理教も大本も、世界宗教的かどうかというところで、創価学会とは違いますね。その広がりがあるかどうかということ。