今年のドラフトでも、巨人は6月に右肘のトミー・ジョン手術を受けた東海大の最速153キロ右腕・山崎伊織を「故障が完治すれば二桁勝利できる」という理由で2位指名。01年のヤクルトのドラ1・石川雅規も左肘故障で半年間投げていなかったにもかかわらず、プロ入り後、エースに成長したが、山崎は復帰までに1年以上かかるといわれ、リスクと隣り合わせの指名の成否が気になるところだ。

 将来のエースと期待されながら、1年目のキャンプでの故障がその後の野球人生を狂わせたのが、00年のダイエー1位・山村路直だ。

 九州共立大時代は最速153キロの速球を武器に、98年の全日本大学野球選手権で大体大時代の上原浩治と球史に残る投手戦を繰り広げ、翌99年の明治神宮大会で大学日本一になった。

 入団発表の席では、「『今日は山村(の登板日)だから大丈夫』と言われるようになりたいです」と堂々のエース宣言。当時伊良部秀輝が持っていた158キロの日本最速記録についても、「体格的に似てるし、超えてみたいというのはあります」と意欲満々だった。

 ところが、翌01年の春季キャンプ中、ブルペンで投球中に、突然「右肘から先が吹っ飛んでなくなった」感覚に襲われた。当初「原因不明」とされた故障は1年後、肋骨が神経を圧迫している疑いがあることが判明し、04年までに4度にわたって手術を受けた。

 そんな苦難の日々を乗り越え、05年8月7日の楽天戦で1軍初登板。07年3月29日の楽天戦で待望のプロ初勝利を挙げ、「あきらめずにやってきて良かった」と歓喜の涙を流した。

 だが、現実は厳しく、通算わずか2勝で08年オフに戦力外通告。その後も米ウインターリーグやメキシカンリーグでプレーを続けたが、今度は右肩を痛め、09年に引退した。

 入団時の期待が大きければ大きいほど、知らず知らずのうちにオーバーペースになり、思わぬ落とし穴が待ち構えているのも、プロの怖さである。

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野村監督が「前代未聞や!」とツッコンだ新人は?