ノンフィクションライター・山田清機氏による『東京タクシードライバー』(朝日文庫・第13回新潮ドキュメント賞候補作)。山田氏がタクシードライバーに惹かれ、彼らを取材し描き出した人生模様は、決してハッピーエンドとは限らない。にもかかわらず、読むと少し勇気をもらえる、そんな作品となった。事実は小説より切なくて、少しだけあたたかい……。
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■「流し」は「なか」に向かう
中央、千代田、港の3区を、東京のタクシードライバーたちは「なか」と呼ぶ。「なか」は、必ずしも地理的な中心を意味するだけの言葉ではない。中央省庁、大企業の本社、一流ホテルなどが犇めき合い、日本一の繁華街・銀座を擁する「なか」は、東京を走るタクシーの営業の中心地であり、本丸なのである。
タクシーの営業スタイルには、大きく分けて「流し」と「着け待ち」の2種類がある。
「流し」とは何かといえば、読んで字のごとく、街中を流しながら客を拾う営業スタイルだ。流しの場合、うまい具合に客に遭遇できるかどうか、偶然性に支配される部分が大きいが、その反面、ロング(長距離)の客に当たる確率も高い。道傍で手を挙げている客が後部座席に乗り込んできて、いきなり「鎌倉」とか「茅ヶ崎」、あるいは「柏」などと小さく叫ぶかもしれないのだ。現実は、「近場ですみませんが」と言われることが多いわけだが、ロングの客に当たれば「マンシュウ」も夢ではない。マンシュウとは、これまたタクシー業界の隠語で、一回の実車で営業収入が一万円を超えることを指す。
流しが専門のドライバーのほとんどは、出庫をするとまっしぐらに「なか」を目指して突っ走る。営業所がたとえ東京の郊外にあっても、近場の駅などには目もくれず、ひたすら「なか」をめざす。なぜなら、「なか」にはタクシーチケットを握りしめたサラリーマンや、高級マンションに住まう富裕層といった上客が待っているからだ。
しかし、「なか」を目指すことが人生に何をもたらすかは、ひと口に言えない面がある。