記憶や判断などの認知機能の障害を認知症の「中核症状」というのに対し、行動や心理に表れる症状を「周辺症状」と呼ぶ。「周辺」といっても介護者にとっては中核症状より負担が大きいこともあり、最近では「認知症に伴う行動異常・精神症状」を意味する「BPSD」という言葉が使われる。
愛媛県に住む黒沢節子さん(仮名・78歳)は、息子とその妻・由美さんとの3人暮らし。節子さんは中等度のアルツハイマー型認知症で、3カ月前から「財布がなくなった」と言って家の中を捜すことが多くなった。節子さんはそのたびに由美さんに「あなたが財布を盗んだだろう」と責めた。精神的な負担を感じた由美さんは、節子さんを連れて財団新居浜病院シルバー外来を訪れた。同院で節子さんを診察した、愛媛大学病院精神科准教授の谷向知医師は言う。
「大切なものをしまい込んでその場所を思い出せないのに、身近な人に盗まれたと考えてしまうのを『もの盗られ妄想』といいます。アルツハイマー型認知症でみられるBPSDの代表的な症状です」
節子さんの診察をした谷向医師は、節子さんの耳の聞こえに注目した。「お話を聞いていると、『え?』と何度も聞き返され、よく聞こえていないようでした。そこで補聴器をつけるよう提案しました」(谷向医師)
由美さんが節子さんを耳鼻咽喉科に連れていくと、かなり耳垢がたまっていて、聞こえが悪くなっていたことが判明。それを取り除き、さらに補聴器をつけたところ、聴力が改善した。2週間後、再度受診したとき、節子さんのもの盗られ妄想はなくなっていた。
「耳の聞こえが悪いと、入ってくる情報が部分的になります。そのため周囲の状況や話が理解しづらくなり、思い込みが進んでしまうケースがあるのです。聴力の低下はもの盗られ妄想を引きおこす危険因子の一つです」(同)
※週刊朝日 2013年3月15日号