2004年の球界再編問題に際し、「たかが選手」の失言で槍玉に挙げられたのが、巨人の渡邉恒雄オーナー(当時)だ。
同年は、近鉄とオリックスの合併問題をきっかけに、経営難のパ・リーグ各球団がセ・リーグ側に救済を求め、渡邉オーナー主導の8~10球団による1リーグ制移行への流れが急速に進んでいた。
そんななか、2リーグ12球団維持を望む選手会は、各球団の代表レベルとの対話の場を求め、7月9日に意見交換会を開くことになった。
その前日、古田敦也選手会会長(ヤクルト)は、取材陣から「オーナーと直接話をする機会を持ちたいか?」と聞かれ、「そうですね。開かれた感じでいいですね」と答えた。
この“希望”が、取材者間の伝達の過程で、「代表レベルでは話にならないので、できればオーナーに会いたい」に変わり、渡邉オーナーの耳に入ったことが、歴史的失言を生んだ。
選手会側がオーナーとの直談判を要求していると思った渡邉オーナーは「無礼な!分をわきまえなきゃ、いかんよ。たかが選手が!」と色をなした。直後、「たかが選手だって、立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話をする(野球)協約上の根拠はひとつもない」と補足したが、翌日の報道では「たかが選手」の部分が強調され、選手会側はもとより、世論も猛反発。その後、NPB史上初のストライキも決行され、最終的に新規参入の楽天を含めた2リーグ12球団の形で落ち着いた。
「たかが」発言がなければ、プロ野球は1リーグ制に移行していた可能性もあったという意味で、まさに歴史を変えた失言だった。
オーナーといえば、ヤクルト・松園尚巳オーナーは巨人ファンであることを公言し、「巨人には勝たなくて良い」と言ったことから、敗退行為に抵触する失言として非難された。
だが、その後は「ヤクルトを勝たせる」ことに情熱を注ぎ、当時ゴルフのプロ養成コーチをしていた在野の広岡達朗をコーチに招聘。監督就任後の78年に打倒巨人を実現して球団初の日本一になった。