久道:自分の歩数を見るのが楽しみだというモチベーションになってくるとすごくいいんですけどね。今、自分の患者さんにも、頑張ってお酒やめてタバコやめてみたいな話をすることがあります。でも、患者さんによっては僕より年長者もたくさんいる。医者が先生面して理想の生活を説いても、病室を出た瞬間にタバコをプカーッと吸う方もいます。無力感を抱きますし、僕らも説法を学ぶ必要があるのではないかとも思います。

大谷:そのあたりは、先生も私もたいして違いはないと思いますよ。高齢者というのは、これまで何十年もかけて自分の人生を確立してきた。そんな方々が、お医者さんやお坊さんに言われてすぐに変わるようだったら、世の中は全員健康な善人だと思いますよ。

 先生は、「歩く」ということに対してご自身の切り口を持ってらっしゃいますが、日頃の診療ではそれを上から目線で押し付けないことを信条にされているとご著書でお書きになっていました。

久道:ええ、そう心がけています。

大谷:僕自身も、日頃お話をする上では同じように「あなたの考え方も正しいけれど、こんな考え方だってあるんじゃない?」と示す姿勢を基本にしています。何でも「こうでなければいけない」ということはありません。日本人は型というものをすごく重要視するんですが、あまり型にはめてしまうことはその人の人生を逆に窮屈にしてしまうんじゃないかなと思っています。特に近頃の若い修行僧を強く型にはめようとすると、修行が苦行になってやめてしまいます。

久道:本当にその通り。歩行も一緒です。よく取材を受けると「理想の歩き方を教えてください」とか「ベストな靴は何ですか」という質問をいただきます。お答えはしますが、実際のところ、歩き方というのは文化や時代によっても規定される部分が大きい。

 例えばウォーキングでは「かかとから歩いてつま先で強く蹴り出す」のが良しとされていますが、江戸時代の花魁(おいらん)に同じことはすすめられません。和装、下駄という文化が歩き方を規定するのです。

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