震災自体のストレスに加え、避難所での生活が潰瘍出血を引き起こす要因となっていた。

「これは、この震災ではじめて判明したことです」
 
 菅野医師は、避難所での活動の後、1カ月遅れで大学院に進学。この時の体験をベースに報告をまとめた。その後も研究を続け、消化性潰瘍の診療ガイドライン作成委員にもなった。

「疑問に思っているだけではなく、自ら行動することで変えられるものがあるということを実感できました」
 
 現在、災害支援の医薬品リストには強力な酸抑制の胃薬があるが、これは東日本大震災以降のことだ。

「ほか、技術の均てん化のため、消化性潰瘍の内視鏡手技に関するシミュレーターの開発にも携わり、実用化を目指しています」

■命の大切さを伝えるメッセンジャーに
 
 菅野医師はこれらに加え、もうひとつの役割を担ってきた。それは一通のメールがきっかけだった。
 
 避難所での活動を終え、仙台へと戻った菅野医師に、4月20日、米ニュース雑誌「TIME」からメールが届く。そこには、菅野医師が同誌で毎年発表される「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたことと、ニューヨークで開催される記念パーティーでのスピーチ依頼が記されていた。
 
 実は長男誕生の際、希望につながるような話題を探していたNHKの取材班が現地入りしており、父である菅野医師が南三陸町で被災しながら医療活動を続けていたことも含め、国内だけでなく世界へ向けて発信していた。

「最初、記念パーティーへの出席は断るつもりでいました。被災はしましたが、私の家族は幸いなことに生きています。私より苦しんで、どん底にいる人がたくさんいるなか、私が苦しみを語るのはおこがましいという葛藤があったんです」
 
 その思いを変えたのは、南三陸町の被災者や共に活動した医療スタッフ、進学予定先の教授たちからの「被災者の代表として震災のことを伝えてほしい」という言葉だった。

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