「スピーチでは、被災の大変な状況のほか、『日本人は決して負けない』という思いを伝えたつもりです」
パーティーで印象に残っているのは、スピーチ後の現地の人たちとの会話だった。
「向こうの人は『なぜ日本人はこのような状況なのに黙っているのか』としきりに聞いてくるんです。『助けてと言ってくれたらいくらでも力を貸すのに』と。確かに日本人は我慢しすぎてしまう傾向がありますよね。そこから『声を出して伝えなければならない』という思いが強くなりました」
帰国後、菅野医師は取材や講演、執筆など、「メッセンジャー」の役割を果たし続けた。だが、菅野医師自身も震災の被災者であり、そのフラッシュバックに悩まされていた。講演で被災の状況を説明する際には涙があふれだすこともあった。
「命を救うことが役割の医師なのに、震災で患者も地域も失うだけ失ってしまいました。守れなかった怒りと自分が生き延びてしまった罪悪感が渦巻き、間違った感情だとはわかっているのですが、『自分が死んだらよかったのに』という思いが浮かぶこともありました」
葛藤の日々が続くなか、震災からちょうど1年後の3月11日、とあるテレビ番組の企画で、被災した傷跡が残る志津川病院の前からの中継を行った。
「その際に被災者へのメッセージを求められたのですが、『自分を責めなくていい。生きているだけで宝物です』と話しました。その後、『これは自分に向けて言ったことだな』と気づいたんです。このことで、気持ちが少し前向きになれたのかもしれません。その後、受援の活動や人材育成に、より力を入れるようになりました」
震災を悲劇としてだけで終わらせないための活動を続けてきた10年間。
「震災に関する暗く、恐ろしい気持ちはずっと自分のなかにある」と菅野医師は話す。
「これはこの先も忘れることはないでしょう。ですが、この思いが自分を動かす原動力にもなっています」
現在、特に力を入れていることは、子ども向けの講演・教育活動だという。
「自分の被災体験やその後の活動をきっかけにして、子どもたちに『命の大切さ』を伝えたいんです。これが、大人向けの講演などに比べると難しいのですが、その分、やりがいも感じているんです」
(文=AERAムック編集部・原子禅)
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