キャンプ初日から軽くキャッチボールをするなど順調に見えた。埼玉・所沢から高知に移動した2月8日、ティー打撃をする姿が話題になった。しかし表立ってボールを握る姿はなかなか見られない。昨季は2月の練習試合やオープン戦で登板しており、コメント通り調整は遅れているようだ。

 横浜高時代から“怪物”と呼ばれ、甲子園では数々の伝説を残した。プロ入り後も1年目から結果を出し、06年オフにポスティング制度を利用してメジャーリーグのレッドソックスに移籍。入札金額5111万1111ドル11セント(約60億円)、6年総額5200万ドル(約61億円)で契約を結び日米で話題になった。※金額は当時のレート

 米国ではインディアンス、メッツなどを経て、14年オフにソフトバンクと3年12億円の大型契約を交わしNPBに復帰。しかし故障による手術などで、15~17年のソフトバンク在籍3年間での1軍登板はわずか1試合に終わった。

 17年オフにはテスト入団で中日入り。18年は11試合に登板して6勝4敗、防御率3.74と復活しオールスター出場、カムバック賞を受賞した。しかし翌19年はわずか2試合の登板にとどまり、同年オフに古巣・西武へ14年ぶり復帰した。昨年は開幕ローテーションの候補にも挙がっていたが、コロナ禍による開幕延期のため実現に至らなかった。

「波乱万丈の野球人生で“経験”という大きな財産を持つ。しかし選手としては厳しいと言わざるを得ない。技術、フィジカル、マウンド上の感覚を取り戻さないといけない。在籍時の中日は優勝争いするチームではなく、状況を気にせず投げられた。しかし西武ではそうもいかない」(松坂在籍時の中日担当記者)

「僕はリリーフで、毎日投げることができなくなったから辞めるんです。でも先発は大事なところで登板できれば価値がある。僕が辞めて、大輔が投げ続ける理由は僕の中にはハッキリとした答えがあります。先発だからこそ、ゲームメイクの能力が高い大輔はここ一番で必要になるんです」(藤川球児/1月31日付『Number Web』)

 マウンド上での感覚が戻らなければ大事な局面を任せられない。優勝争いをする中、松坂の“経験”を戦力にしたければ、1日でも早い復帰と実戦登板を重ねることも必要となる。藤川が語るゲームメイクも実戦感覚が戻ってこそだ。

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引退勧告などできない部分も