未曽有の原発事故から10年。今も続く廃炉の現場は、課題山積。しかも東電は、「廃炉終了の定義」を明確にしないまま「廃炉」を進める。残された年月は20~30年。AERA 2021年3月15日号で「フクシマ」の未来を考えた。
【写真を見る】2号機格納容器内にある、燃料デブリと見られる小石状の塊
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「ピーピッピッピッ」
胸の線量計が、不快な電子音をあげた。異臭がするわけでも、空から何か降ってくるのが見えるわけでもない。だが、私服姿でいられるほどの低い線量であっても、放射線を浴びているのだと実感した。
福島を、日本中を震撼させた東京電力福島第一原発で起きた史上最悪レベルの事故。2011年3月11日、東日本大震災による津波で原発内の電気の供給が途絶え原子炉を冷却できなくなり、全6基のうち運転中の1~3号機が炉心溶融(メルトダウン)を起こした。さらに、炉心溶融で発生した水素が爆発し1、3、4号機の建屋が吹き飛び、大量の放射性物質が大気中に放出された。11年12月、国と東電は廃炉を「30~40年後」、最長で「2051年」に終了する「中長期ロードマップ(工程表)」を発表した。
未曽有の事故から10年。廃炉作業はどうなっているのか。2月下旬、原発構内に合同取材団の一員として入った。
■「廃炉」に向けて進むも当初の工程から大幅な遅れ
水素爆発を起こした1号機の原子炉建屋最上階は、ひしゃげた鉄骨がむき出しで残り、コンクリートのがれきが散らばっているのが高台から見える。
「昨年5月に、倒壊の危険性があった1号機横の排気筒を半分の高さに解体する作業が終わり、日本海溝で巨大地震が発生した場合に備えるための防潮堤の整備も進んでいます」
案内してくれた東電廃炉コミュニケーションセンターの木元崇宏副所長は、説明する。この1年で劇的な変化はなかったが、一歩ずつ廃炉に向け進んでいると。だがその歩みは、当初の工程から大幅に遅れている。
廃炉の最難関とされる1~3号機の原子炉に溶け落ちた高濃度の核燃料(燃料デブリ)の取り出しは本来、21年中に2号機から行う計画だった。そのために使用する専用ロボットアームを英国で開発していたが、新型コロナウイルスが猛威を振るい日本に輸送するメドが立たなくなった。昨年12月、国と東電は燃料デブリの取り出し着手を1年程度延期すると発表した。