天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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運転免許返納の写真撮影のために人生初の証明写真ボックスへ(天龍源一郎公式インスタグラム(@tenryu_genichiro)より)
運転免許返納の写真撮影のために人生初の証明写真ボックスへ(天龍源一郎公式インスタグラム(@tenryu_genichiro)より)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「新生活」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。

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 人生で一番思い出深い新生活の始まりは、やっぱり田舎のあんちゃんだった13歳の俺が相撲部屋に入った時だね。実家の福井から夜行列車で上野駅に着いて、迎えに来てくれた人と一緒にタクシーに乗ったんだ。その時、その人が「錦糸町まで」と言ったのを田舎から出てきたばかりの俺は「警視庁まで」と聞き間違えてね。13歳の俺は「あぁ、田舎から東京に来ると、まずは警察で身分照会をしなきゃいけないんだな」と思ったんだ。いやぁ、俺にもかわいい時期があっただろう(笑)。

 そうして始まった相撲部屋生活だが、今でも思い出すのが“匂い”だ。相撲取りは料理にニンニクをたっぷり入れるからその匂いが強烈だし、なによりびんつけ油の匂いには閉口したよ……。今でこそいい匂いのするびんつけ油を使っているが、当時は本当に匂いがきつかったね。厳しい稽古や集団生活は別にして、匂いに慣れるまで大変だった。

 匂いに慣れてしまえば、相撲取りの生活は俺には合っていた。たった一勝でもすれば天下を取ったような気持ちになってね、その日の飯がうまい! 負けが込んでくると「俺は相撲に向いていないのかな?」と悩むこともあったが、その日その日の取り組みで勝った、負けたということの繰り返しで、分かりやすかったというのもあったんだろう。

 相撲部屋生活と同時に当時はまだ中学生だったから学校生活もある。俺が通ったのは墨田区立両国中学校。ここは東大にも行くような高校に進む人も多く、勉強レベルが高い学校としても知られていたんだ。学区外の他県からも越境入学してくる人も多かったな。そんな両国中学校で、テストケースとして、相撲部屋にいる中学生を受け入れることを始めたんだ。

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中学校の先生にまず言われたこととは?