「これは私と同じ経験をした人がみな言うことですけれども、夜はいいんですよ。朝になるとつらくなる。むなしさと孤独と倦怠感が襲ってくるんです。いまの私の実力は、奨励会初段もないでしょうね。もともと気持ちで指すタイプでしたから、いったん魂が抜けてしまうと厳しいんです。たまに解説に呼ばれ、藤井(聡太)君の指し手を絶賛しながら、自分はいま何をやっているんだろうかと自己嫌悪に襲われる。本当に辛かったです」(橋本さん)
橋本さんは11歳のとき棋士の養成機関である奨励会に入会。16歳で三段リーグに初参加、18歳でプロ棋士となった。これは、中学生で棋士となった羽生善治九段、渡辺明名人、藤井聡太二冠ら伝説級の棋士たちと比べればやや遅く見えるものの、将来タイトルを取るような棋士が描く、鮮やかな昇段の軌跡である。
その後も順調に才能を発揮し、12年度には順位戦A級に昇級。また竜王戦では最上位の1組在籍10期の実績を残した。
盤外においても、普及を兼ねた将棋BARを経営したり、奇抜な衣装や全国放送されるNHK杯でのインタビューが話題になるなど、型破りな棋士として知られ、ファンも多かった。
「いま、将棋界は研究にAIが導入されていることもあって、実力を維持するのに大変な労力がかかる時代になりました。このような家庭の問題を抱えながら将棋を指して、勝てるような時代ではないんです。休場する前の1年間は、ほとんどプロとしての将棋になっていませんでした。対局中にも心労が押し寄せ、注意力が極度に散漫になり、自分の手番であることすら気づかないこともありましたから」(橋本さん)
■行儀は悪いが将棋は強い
橋本さんは15年、将棋連盟の理事選に立候補し、落選したものの次点の得票数を得ている。保守的な将棋界において、連盟執行部批判をも辞さない言動が物議を醸すこともあった。
しかし、良くも悪くも品行方正な優等生棋士がほとんどを占めるいまの棋界において、行儀は悪いが将棋は強い、一匹狼の「ハッシー」を愛する昔ながらのファンが多かったことは、まぎれもない事実である。