批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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トーマス・アッシュ監督のドキュメンタリー映画「牛久」を観(み)た。茨城県牛久市にある入管外国人収容施設の実態に迫る問題作である。
日本は、在留資格がない外国人を原則入管施設に収容する政策を採用している(全件収容主義)。期間にも定めがない。そのため一部外国人については収容が長期化し、かねてより人権侵害が指摘されてきた。今年3月に名古屋入管でスリランカ人女性が死亡した事件は大きな社会問題となり、国会でも議論された。
「牛久」はそんな長期収容者たちの姿を、面会場面の隠し撮りを中心に追いかけている。登場人物はみな実名で顔も出している。配偶者と引き裂かれ、鬱(うつ)になり自殺未遂を繰り返す中年男性がいる。仮放免を得るため無理なハンストで体を壊す若者がいる。男性ばかりの施設に収容され戸惑うトランス女性がいる。みなに固有の人生があり悩みがある。観終わると「日本人じゃないなら出ていけ」と抽象的には言えなくなる。
特に印象に残ったのは、ある収容者の「どうせ難民を受け入れないなら申請させないでほしい」との言葉だ。日本の難民認定は極端に厳しい。申請の1%以下しか認められない。にもかかわらず審査だけはするので長期間収容される。偽善だという訴えは痛切だ。
日本ではそもそも世論が外国人受け入れに冷たい。難民認定には多様な意見があろう。しかしそれでも、他国からの批判を躱(かわ)すため、一部外国人に制度の歪(ゆが)みを押し付けるのは許されない。審査基準の透明性確保が求められる。
同作については出演者の許諾に問題があったようで、ネットでは批判の声もある。とはいえ、顔を出しての肉声の訴えには文字や数字にはない迫力がある。オンラインで開催された映画祭「ニッポン・コネクション」への出品作で、いまだ国内公開は決まっていないという。多くの人に観てもらうべきだと考える。
6月20日は世界難民の日である。それを前にした朝日新聞の取材で、入管庁の佐々木聖子長官は全件収容主義からの決別を明言している。今度の約束が偽善で終わらないことを国民として願う。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2021年6月28日号