「天皇や皇族方は、ご自身の言葉を最適な表現に翻訳して伝えることの重要性を何より、理解なさっている方々でした」

 多賀教授が思い出すのは、言語に対する感覚の鋭敏さを表す次のようなエピソードだ。

 皇太子時代に執筆した『テムズとともにー英国の二年間-』(学習院教養新書)。そのなかで、オックスフォード大学への留学中に、テニスの試合における得点の数えかたについて興味を持ったエピソードが登場する。たとえば、15対0のとき、英語で「fifteen  love」と表現する。0をなぜ「love」と呼ぶのか。好奇心を持った徳仁皇太子が、英国人の指導教官にたずねると、フランス語の「œuf(卵)」から来ていることが分かった。「0(ゼロ)」の形をした卵から、ゼロを表現したことを突き止めたのだ。「œuf(卵)]に定冠詞が付くとl’oeufになり、発音はloveに近づく。

「その謎解きの過程を語られる筆致がユーモアにあふれ、とても楽しかったのを思い出しました。私がバンクーバー総領事を務めていたころ、徳仁皇太子がお立ち寄りになったことがありました。著書に書かれていた、卵とゼロの話題をしたところ、皇太子殿下も喜んでおられました」

 平成の時代、明仁天皇は、ご自身の記者会見の内容が、迅速に正しい英語に翻訳されて発表されることを願っていた。侍従を務めていた多賀教授らの翻訳作業は、深夜に及ぶことも多かった。

「翻訳作業は、陛下のご発言の一文一文をきめ細かく分析し、正確な英語表現を複数考えて最適の解を探してゆかねばならないからです」(多賀教授)

 ある晩、人の気配を感じてふと、顔を上げると、すぐ目の前に明仁天皇が、ほほ笑みながら立っていたという。

「どうですか」

 翻訳と格闘していた御用掛にこうたずねた。 記者会見で発言した日本語が、どのような英文になっていくのか、ご興味があったのだろう。同時に、それにもまして、夜遅く自分のために仕事をしてくれる人たちをねぎらいたい、そんなお気持ちが強かったのだと思う、と多賀教授は振り返る。

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天皇陛下は、「誤り」を指摘することで誰も傷つけたくない