この川口に劣らぬビッグマウスで報道陣をビックリ仰天させたのが、PL学園1年時の桑田真澄だ。

 83年の2回戦、中津工戦、桑田は8回に自ら試合を決める3ランを放ち、投げては3安打完封と投打にわたる活躍でチームを勝利に導いた。

 そして、試合後には「ホームランですか?スカッとしましたね。行ければ決勝まで」と優勝宣言まで飛び出した。

 だが、この時点では、史上初の夏春夏3連覇を狙う池田をはじめ、中京、箕島などが優勝候補と目され、「今回のチームは甲子園に出場できただけでも上出来」と中村順司監督も評したPLはノーマーク。誰も本気にしなかった。

 ところが、PLはその後も順調に勝ち進み、準決勝では大本命の池田に7対0と完勝。決勝でも横浜商を破り、5年ぶり2度目の夏制覇を実現する。

 池田の“やまびこ打線”を5安打完封し、“阿波の金太郎”水野雄仁から左翼席中段に弾丸ライナーの2ランを放った桑田は「ヒットは疲れます。全力疾走は苦手なんだな」と異色の本塁打談話を口にしたばかりでなく、「みんな池田の亡霊に怯えていたんだ。でも、僕にとっては、イ・ケ・ダの3文字に過ぎなかった」とこともなげに言って、度肝を抜いた。

 そして、優勝直後には「5季連続優勝してみせる」とキッパリ。結果は優勝2回、準優勝2回、4強1回だったが、清原和博との“KK”が代名詞になったこの時期のPLは、十分5季連続優勝できるだけの実力があった。

 その意味では、桑田のビッグマウスは、有言実行に近いものと言えるだろう。

 近年では、早稲田実時代の清宮幸太郎も、ビッグマウスで話題を集めた一人だ。

 高校デビュー戦となった15年春の都大会3回戦、駒大戦でいきなり決勝打を放ち、「相手投手より自分が上と考えて、どんな球でも来いと思った」と新入生とは思えないような大胆コメント。夏の西東京大会を前に、目標の本塁打数を聞かれると、「夏は6試合ですか。それなら6本打ちたい。最低1試合1本です」と公約した。

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「注目されてナンボだと思っています」