2018年9月28日/骨折が完治しない中、北アルプス随一の難関・剱岳へ(写真:ハタケスタジオ/本人提供)
2018年9月28日/骨折が完治しない中、北アルプス随一の難関・剱岳へ(写真:ハタケスタジオ/本人提供)


 これまでの挑戦では旅の完遂に気を取られ、いまいる場所よりも次の山に意識が向くことが多かった。今回は晴れるまで1週間待ったり、ルートを外れて寄り道したりする機会を増やした。301座には何度も登った山も含まれていたが、新たな発見の連続だったという。そして、長期の待機期間もまた、必要な時間だったと振り返る。

「新型コロナでの行動自粛中は不安で焦る気持ちもあったけれど、地元の人の『日常』に間借りして生活できました。北海道での待機中は15年ぶりくらいに富良野市の実家で両親とゆっくり一冬を過ごすことができた。どちらも大切な時間でした」

 旅の移動は百名山、二百名山の挑戦時と同様にすべて人力だ。陸上は徒歩とスキー、川はパックラフト、海はシーカヤックで越えた。非常階段の使用が許可されなかった関門トンネルや、いくつかの宿泊施設でエレベーターを使ったほかは、待機期間も含めて、飛行機や車はもちろん、電車や自転車、エスカレーターさえも使っていない。

■人間本来の力だけ使う

 三百名山には登山道すらない山もある。津軽海峡のように海流が不規則な海にも、身一つで挑んだ。都心の高層ビルに入居する企業へあいさつに行くときも、道中の町々で知人が開く会食に参加するときも、人力にこだわって徒歩で移動し、ビルの階段を駆け上がった。私たちが日常生活を送るすぐ横で、田中さんはひとり、特異な挑戦を続けていた。田中さんは言う。

「歩く力、こぐ力は人間としてのナチュラルな動作だと思う。私が足を踏み入れる山や海も、何か特別な力を使ったのではなく、生まれてから年月を重ねて自然と今の姿になった。一人の人間が本来持っている力だけでそこに身を投じるのがフェアだと考えたんです。たとえ町のなかにいるときでも、ひとつの『旅』の期間である以上、それを貫きたかった」

 そしてもうひとつの理由が、その土地に住む人との自然なコミュニケーションを楽しむためだ。田舎道を歩いていると、農作業中の人と目があったり、車で通りかかった人が話しかけたりしてくれる。バイクや自転車では、それが少ないだろう。

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