「本当は幸せな夢を見せた後で悪夢を見せてやるのが好きなんだ」という魘夢は、人間の願望をのぞき見し、幸せな夢・不幸な夢を作り出す。生きている人間の数だけ、「夢」があり、現実から逃げた者、現実から目を背けた者は、鬼・魘夢の犠牲となる。

「この世」は、苦しみに満ちている。魘夢が利用したのは、「夢」から目覚めたくないと思う、人間の「弱い」心だった。しかし、炭治郎たちは、強い精神力で「夢」への誘惑を完全に断ち切る。そして、彼らは、戦いに「命をかける」理由を、悲しい過去を、美しい覚悟を、具象化する「夢」を通じて、われわれに見せてくれたのだった。

 自ら夢に溺れた魘夢は、最後には、現実でやり残したことを、ひとつひとつ後悔し続けた。自分の体を醜く巨大化させることを選択した時点で、魘夢は意識世界と無意識世界を自在にはねまわる「軽やかさ」を失ってしまっていた。魘夢の「虚構の夢」の果てには、いったい何が残ったのだろうか。魘夢との戦いは、はかない生を懸命に生きてこそ、「夢」も真の美しさを取り戻すことを、われわれに教えてくれる。

◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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