「夢」は心の産物。願いも恐れもすべて、いったん無意識下に沈殿し、「夢」という形になって、われわれの目の前に広がる。現実に存在する「信じたくない事実」から目を背けていると、「夢」はとつぜん膨張し、私たちを飲み込んでしまう。
映画の中で魘夢は、列車本体と融合し、体を大きく膨らませ、無数のうごめく触手を出現させる。「巨大化する魘夢の肉」の映像によって、私たち人間の願いが「グロテスクに肥大化」することが、巧みに表現されている。
■「夢」という虚構を欲しない煉獄杏寿郎
炭治郎以外にも、この「肥大化した夢」にとらわれなかった登場人物がいる。炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)だ。魘夢の血鬼術によって彼が見た「夢」は、現実とかけ離れた内容ではなかった。
最初に見たのは、煉獄なら簡単に実現できるような内容だった。それは人を助けること、若き後輩剣士たちを導くことだった。次に見たのは、自分が実際に経験した過去。亡き母からの教え、父からの苦言、父の苦悩を拭い去ることができない自分の無力さへの絶望、幼い弟への愛。これらは決して「心地よい感情」だけを生んでくれるわけではない。
<頑張ろう!頑張って生きて行こう!寂しくとも!>(煉獄杏寿郎/7巻・第55話「無限夢列車」)
煉獄杏寿郎は寂しい。現実の苦しみも悩みもつらさもすべてを胸に抱えたまま、煉獄杏寿郎は戦い続ける。「夢」という虚構には決して負けない。
魘夢は、自分を危険にさらさないために、一般の人間の「弱さ」を利用する卑劣な戦法をとった。それに対して煉獄は、すべての「か弱き人々」を助けるために、最前線に身を起き、傷つくこともいとわない。夢と現実、弱者への対応が、対照的に表現されている。
■魘夢という「鬼」が象徴するもの
この世のことわりを全て受け止めている人間は、どっぷりと「夢」に逃避することはない。炭治郎と煉獄は、魘夢にとっては、極めて相性の悪い敵だった。