
教育熱心な一家に育つ
高校卒業後に中国へ留学
この日の最後にサコは、「私とは何者か?」と題したスライドを映し出してこう述べた。
「日本がいま排他的になっているのは、一人ひとりが自信を失っているからではないか。自信を持つには、自分が何者かを知ることが大事です。答えの見えない世の中を生きるあなたたちは、自分の変化を恐れず、他者との交流を通じて、自分の『ヴォイス』を持つことを目指してください」
サコが91年に来日してから30年が経過し、バブル景気の浮ついた空気が漂っていた時代から、日本は大きく様変わりしている。
世界の国々が成長するなかで、日本だけは長期にわたり停滞し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた経済力はすっかり地に落ちた。今年春には、中国のアニメ会社が日本の平均的なアニメスタジオに比べて3倍もの給料をアニメーターに支払っていると報道されたが、日本はアジアの諸外国と比べても「安い国」となりつつある。
これまでの日本には、ジャパンマネーを求めて多くの外国人が出稼ぎに来た。しかしこれからの日本では、若者の多くが可能性を求めて海外に出て、その地で根を張って生きることが今よりも普通となるだろう。そんな前例がない時代を生きる若者にとって、サコのこれまでの歩みは「多様な生き方」のヒントとなるかもしれない。
サコは66年、西アフリカのマリ共和国の首都、バマコに生まれた。父は税関で働く国家公務員で、専業主婦の母と妹と弟の5人家族。だが家族以外に家にはいつも、30人ほどがいて、同じかまどのご飯を食べていたという。サコによれば「マリでは親戚の知り合いなど、よくわからない繋がりの人が家を訪れ、そのまま何カ月も居座ることが珍しくない」という。
「マリでは子どもは『地域の子』として育てられる。幼児から家を手伝うのが普通で、いたずらが見つかれば、親でも先生でもない『お前誰やねん』という大人に叱られることも日常でした」