そんなマリの庶民の暮らしの中で成長していったサコだが、しっかりと教育を息子に受けさせたい父の意向で、小学校は私立のカトリックスクールに入学。そこで「フランス式」の生活や考え方を学んだ後、「厳しい環境で勉強させる」という父の考えのもと、300キロも離れた叔母の家に預けられた。そこでの6年間は、水道も電気もない生活だった。朝起きると井戸から水を汲み、5キロも田舎道を歩いて学校へ通った。
叔母の夫は学校の教師でとても厳しく、勉強中に居眠りをすると、エンジンベルトで叩かれたという。「卒業したら何としても家に帰りたい」と考えたサコは勉強を頑張り、首都にあるフランス植民地時代に設立された理数系の高校に進学する。リーバイスのジーンズをはく都会の洗練された同級生たちに追いつこうと、休日はサッカーやディスコなどで遊ぶ日々を送った。
「遊びにハマってるんちゃうか、と親族に心配されましたが、勉強にも打ち込み、無事にバカロレア(大学入学資格試験)に合格しました」
高校卒業後、サコは中国へと留学する。当初はヨーロッパの大学を希望したが、結果的に中国で6年間過ごしたことが、サコの目を世界に開いた。1年目に通った北京語言大学という語学系の大学には、あらゆる国の学生が800人もいた。
「もしヨーロッパに留学していたら、一生懸命自分もその国に溶け込もうとしていたでしょう。しかし中国では、自分はどう頑張っても中国人にはなれない。だから逆に世界や自分について、考える時間を過ごせた」
(文・大越裕)
※記事の続きは2021年10月4日号でご覧いただけます
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