■地元の劇団が原点
――2014年にデビューしてから、舞台は「泥人魚」で3作目。ただ、演技を学んだのは、高校入学後に参加した地元・沼津の劇団沼津演劇研究所だった。
確かに地元の劇団が俳優・磯村勇斗を作った原点と言えるのですが、僕はもともと映像がやりたかったんです。でも、地元でお芝居を学ぶには舞台しか方法がなかった。今では舞台の魅力ももちろんわかりますが、最初はすごく複雑な心境でした。
――映画が大好き。俳優になりたいと思ったのも、中学生の時に映画を撮ったことがきっかけだ。
僕にとって映画は日常でした。子どもの頃から洋画を見ていて、映画の世界に興味を持っていました。その時から今でもずっと映画が好きです。俳優になりたいと思ったのは興味本位、かな。芸能界はやはり別世界だと思っていました。日常に飽きていたということもあるし、刺激が欲しかった。人と違うことをやりたいというところもあったのかもしれません。
――上京して演劇を学ぼうと大学へ進学したが、俳優になるために中退した。
大学をやめてからはフリーランスで転々と小劇場を回っていました。その頃からドラマなど映像をやりたいという思いがすごく強かったんですが、事務所に入らないとなかなか作品には出られない。オーディションを受けても全然引っかかりませんし、事務所オーディションも書類で落ちてしまう。芝居をやるには居場所が小劇場しかなかったんです。そこでしっかり芝居というものを学ばないと勝負できないと思い直し、転々としながら演技を磨いていました。
――現在の事務所へ入ることになったのは、主演舞台をやっていた時に声を掛けられたことがきっかけだ。事務所に所属すると、入ってくる情報もオーディションを受ける機会もフリーランスの時とは全然違った。俳優の夢をあきらめず、地道な下積みが実を結び、今や文句なしの売れっ子に成長した。
■こうしたら面白い
――俳優としての強みは何か。
ある程度、適当なところではないでしょうか(笑)。俳優はいい意味で適当でないとやっていけない部分があると思っています。それが(公私の)切り替えでも重要だったりしますし。他には……好奇心です。「これをやったら面白いのでは?」「これをやっても大丈夫だろう」とチャレンジしていく。それも適当なんですけど(笑)、良い言葉で言うと、「好奇心旺盛」と言い換えられるかもしれません。
――今後、どんな役に挑戦したいのだろうか。
特定の志向はないんですが、年を重ねていった時に、例えば三島由紀夫さんのような実在の人物の伝記を演じられるようになっていたら、立派な俳優なのではないかと思います。俳優としても生き残れるようにしっかり頑張ります。
(フリーランス記者・坂口さゆり)
※AERA 2021年10月11日号