今にして思えば、「アメリカ・ファースト」と「オルタナティブ・ファクト」のドナルド・トランプこそポスト近代趨勢(すうせい)を代表する人物だった。

 ロックやホッブズやルソーは、市民ひとりひとりが私権の制限を受け入れ、私財の一部を供託することで近代の「公共」は成立したと説いた。そのような歴史的事実がほんとうにあったのかどうかは分からないが、その社会契約によって「万人の万人に対する闘い」が終わったというのが近代市民社会が採用した「大きな物語」だった。

 だが、ポスト近代にはもう「公共という物語」の居場所がない。そのせいで人々が公権力を私的欲望の実現のために用い、公共財を私財に付け替えることに励むようになったのだとしたら、たしかにこれは「近代以前への退行」と呼ぶ他ない。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2021年10月18日号

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