佳代さんと元婚約者をこの事件にあてはめるつもりは毛頭もない。ただ佳代さんの「たたかれ方」を見ていると、あの事件がどうしても頭をよぎる。たたかれ方が似ているのだ。男と愛と金。これを利用した、または利用しているように見える女を絶対に許さないという男性たちの決意のような力。実際の裁判では、物的証拠のない事件そのものよりも、彼女の愛を裁くような男性検事や裁判官からの質問が相次いだ。「あなたは、本当にその男性を愛していたんですか?」「愛していたなら、なぜ彼の部屋を掃除しなかったのか?」「愛していたなら、なぜ他の男性とセックスしたのか?」……。正しくない女、清廉潔白でない女、過度のぜいたくを求める女、分相応に生きようとしない女、男に従順でない女、男の純情を利用した女……。そんな女は絶対に許すわけにはいかないのだ、という社会の空気は濃厚だった。
週刊現代の記事によると、佳代さんは、お金を返してほしいと言う元婚約者男性に対し、「借りてはいない」とする手紙を男性に書いている。そこで、あろうことか男性の名前を間違えていたという。2年間の婚約生活がどのようなものかは分からないが、男性は「お金だけ」を求められていると最終的に認めたのだろう。だから自ら去ったのだろうし、男性の手記からはそもそも恋愛関係があったかどうかも定かではない。佳代さんの目にはいつも息子しか映っていなかったかもしれない。でも、だとしても? それは第三者が正義の顔をしてたたくようなことなのだろうか。匿名の男性の一方的な語りだけで、一人の女性の人生をここまでおとしめてよいのか。
佳代さんを検察に告発したジャーナリストは、佳代さんが遺族年金を不正に受給したと考えているという。佳代さんと元婚約者は生計を一つにしていたわけではなく、住居も別だった。記事によると元婚約者の男性は「肉体関係はなかった」と言っており、状況から見れば事実婚状態ですらない。検察は告発を受け取ったが、受理するか、否かは不明という。また佳代さんは適応障害の診断で休職していたにもかかわらず、知人の店で働いていたことが、「傷病手当金の不正受給」だとも言われている。ずさんさを問われても仕方ないかもしれないが、佳代さんが置かれているのはそもそも普通の状況ではない。常軌を逸した報道のなか、それでは、どうやって生きればいいというのだろう。