日本では高田延彦、船木誠勝らと激戦を繰り広げたヒクソン・グレイシー (c)朝日新聞社
日本では高田延彦、船木誠勝らと激戦を繰り広げたヒクソン・グレイシー (c)朝日新聞社
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 10・11=10月11日は格闘技ファンには忘れられない日付だ。24年前となる1997年のこの日、高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗れPRIDEが始まった。両者の再戦は翌98年、同じ10月11日に行われ、再びヒクソンが勝利。ヒクソン、敵役としてのグレイシー柔術がPRIDEを生み出した。

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 当時世界最大の格闘技イベントだったPRIDEだが、現在その座を奪ったUFCの誕生にもグレイシー一族が関わっている。1993年11月12日、ヒクソンの兄ホリオン・グレイシーが仕掛けた第1回UFCでヒクソンの弟ホイスが優勝。その過激なルールとケン・シャムロック、ジェラルド・ゴルドーといった選手が敗れたことで日本でもセンセーショナルに報じられた。

 細身で決して強く見えないホイスはその後も敵役としてPRIDEにおけるヒクソンのようにUFCを牽引。第1回UFC優勝後に放った「兄は私の10倍強い」という言葉に関係者が目をつけ、ヒクソンの第1回来日ファイトに繋がった(94年7月、VALE TUDO JAPAN)。グレイシーの存在なしに現在の格闘技の隆盛はなかったし、UFCとPRIDE、2大ブランドの起爆剤となったのは間違いない。

 PRIDEは高田とヒクソンの対戦がきっかけとなり誕生したが、その戦いは高田の弟子の桜庭和志とヒクソンの親族であるグレイシー一族との戦いに形を変え継続される。高田に続いて船木誠勝を破り敵役としての存在を極めたヒクソンだが、桜庭がPRIDEでホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンとグレイシー一族を次々破ったことでプロレスファンの溜飲を下げた。桜庭はグレイシー・ファミリーとの戦いで格闘技界を超えたスターとなり、PRIDEも一般層に届くブームとなった。

 だが、グレイシー一族の後にヴァンダレイ・シウバが桜庭のライバルとして台頭、さらに新たな柔術の使い手としてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが登場し、エメリヤーエンコ・ヒョードル、ミルコ・クロコップといったスター選手も続々生まれ、グレイシーはメインストーリーの担い手から外れていく。

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存在感が薄れるグレイシー一族で活躍したのは?