
グレイシー柔術始祖の一人であるエリオを父に持つヒクソン、ホイスを第2世代とするなら、その後戦いの場に出るファイターは彼らの息子世代である第3世代に移っていく。
93年のUFC誕生を機に柔術は世界的なスポーツとして広がり、2000年代に入るともはや柔術界においてもグレイシーは絶対的存在感を示せなくなっていたが、その中で異質の強さを発揮したのがホジャー・グレイシー。エリオの兄で柔術を広めたカーロス・グレイシーを祖父に持つホジャーは判定決着がほとんどの柔術において一本勝ちを量産。期待と幻想を担い2006年に総合格闘技(MMA)でデビューする。
MMAでも一本勝ちで進んだホジャーだが、5戦目で右フックを浴びKOでキング・モーに初黒星(11年1月、ストライクフォース)。その後UFCと契約を結ぶが、優勢な1Rをしのがれると、消耗から寝技で優位な展開を作れず判定負け(13年7月)。その後はONE Championshipと契約しライトヘビー級王者となったが(16年5月)、柔術・グラップリング同様の強さをMMAでは示すことができなかった。
日本では戦極での1試合にとどまったホジャーに対し、日本で4試合を行い着実に勝利してステップアップしたのがヒクソンの息子クロン・グレイシー。第2戦(15年12月)からRIZINを舞台とすると山本アーセンを皮切りに所英男、川尻達也の両ベテランをリアネイキドチョークで撃破、UFC出場を引き寄せた。
初戦こそRIZIN同様リアネイキドチョークで勝利したクロンだが(19年2月、アレックス・カサレス)、第2戦は寝技に持ち込めずカブ・スワンソンに判定負け(19年10月)。その後は試合を行っていない。
柔術同様、MMAにおいてもグレイシーの栄光は過去のものとなりつつあるが、その中において気を吐いているのがネイマン・グレイシー。ヘンゾを叔父に持つネイマンはグレイシーらしく9戦全勝8一本勝ちというレコードでベラトール・ウェルター級王者のローリー・マクドナルド戦(19年6月)までこぎつけた。