西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「日本での気功の始まり」。

帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
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【ブーム】ポイント
(1)星野稔さんと津村喬さんが日本での気功の先駆者
(2)気功の普及にNHKの番組が大きな影響を与えた
(3)ブームとは別に気功の素晴らしさはずっと変わらない

『決定版 図説気功法』(柏樹社)という本があります。1984年4月の発行で、筆者は星野稔さんと津村喬さんです。このお二人は日本における気功の先駆者です。この本は当時まさに「決定版」でした。

 私が気功に出会ったのは、80年9月、北京の肺がん研究所附属病院の中庭でした。その頃、日本では気功が一般的ではなくて私自身、まだ目にしたことがありませんでした。一方、中国では文化大革命によって衰退した気功が復活して、気功ブームが始まっていました。

 私は気功を一目見るとこれこそ、がん治療における中国医学のエースだと直観しました。そこで、北京の新華書店で気功に関する本、二十種類をすべて買い込んで、日本に持ち帰ったのです。

 このとき、星野さんと津村さんのお名前は知っていましたが、まだ面識はありませんでした。その後、親しくお付き合いさせていただきました。

 それから日本でも徐々に気功が知られるようになりましたが、その普及に大きな影響を与えたのが、NHKの番組ではなかったかと思っています。

 92年の2月ごろ、NHKの教育テレビ(当時)の方が私を訪ねてきました。すでに楊名時先生の健康太極拳が番組で紹介されていて、次は気功の番組を作ることになったというのです。楊名時先生に「気功のことは帯津先生と相談したらいい」と言われて来たといいます。最初は「講師の人選をお願いします」という依頼だったのですが、その2、3日後に「上層部のOKが出ました。でも講師を選んでいる時間がありません。先生がやってください」と言ってきたのです。

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