ぴぴちゃんの担任を外れた後に「きょうだい児」という言葉を知った。
私が見ていたぴぴちゃんは「きょうだい児」だった。それを理解して接していただろうか。ぴぴちゃんを単に「おとなしい子」と見ていたが、本当だったのだろうか。ぴぴちゃんは本当に自分のことを話せていたのだろうか。昼食時間に、みんながただ話したいことや聞いてほしいことをどんどん話している一方で、ぴぴちゃんは「これって話していいの?」とブレーキをかけていたのではないだろうか。本当に私は「ぴぴちゃん」という子どもを理解していただろうか。いろいろな考えがぐるぐる回った。
私がきょうだい児という言葉を知っていれば、ぴぴちゃんのことをもう少し深く見たり、関わったり、つながったりできていたのではないかと思う。そしてぴぴちゃんに「先生はあなたのことをわかっているよ」というメッセージを出すことができたのではないかと思う。
そんな彼女も中学生になり、今ではすっかりお姉さん。今、私がふり返って思っていることと、彼女の当時の思いはすれ違っているかもしれない。けれど、次にきょうだい児を担任することになれば違うアプローチができると思うし、より深くその子を理解できると思う。】
■大丈夫、ちゃんと見ているよ
言うまでもなく、我が家の子どもたちは3人とも分け隔てなく大切な存在です。
でも、息子の手術や長女の身体に深刻な出来事が起きた時には、どうしても手のかからない次女は後回しになっていた時期がありました。
保護者が入り込めない学校という場所で、さりげなく見守ってくださる先生に出会えることは、きょうだい児にも家族にも有難いことです。特別なことは必要なく、「大丈夫だよ、ちゃんと見ているよ」というサインを感じるだけで、子どもの気持ちは軽くなるのではないかと思うのです。
〇江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ
※AERAオンライン限定記事