それでも金が足りなくなると、小橋(健太)たち若手に「馬場さんところに行って、お米(お金)もらってこい」って取りに行かせてね。馬場さんは深夜2~3時まで本を読んでたから、必ずよこしてくれた。俺が記者を楽しませている、必要経費として出してくれたんじゃないかな。それに俺と仲のいい小佐野君にも、馬場さんは「記者は全日本をどう思っているか」といろいろ聞いていたと思うよ。そのときの山本なんか子飼いの子飼いみたいなもんだったからな。
それともう一人、印象的というか、縁を感じたのがアナウンサーの倉持孝夫さんだ。彼は、長州力&谷津嘉章とジャンボ鶴田&天龍源一郎のタッグマッチのとき「長州力、専修大学出身。谷津嘉章、日本大学出身。ジャンボ鶴田、中央大学出身」と各選手の出身大学を紹介して、中卒の俺だけ「天龍源一郎、今日も元気です!」と紹介したアナウンサーだ。倉持さんはジャンボと仲が良くて、俺とはあまり交流がなかった。それが最近になって、天龍プロジェクトの名刺や封筒を近所の印刷所に注文したら担当者が「実は僕、倉持の息子なんです」と言うんだ! びっくりしたよ! いやあ、世の中は狭いね(笑)。いろいろな記者やアナウンサーとの出会いが、俺をプロレスラーにしてくれて、さらに成長させてくれた。今でもその縁が続いているというのは、面白いもんだね!
(構成・高橋ダイスケ)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。