その後、俺とウマがあったのが「週刊ゴング」の小佐野(景浩)君、東京スポーツの川野辺(修)ちゃんだなぁ。特に小佐野君はゴングの副編集長になるのと、俺が全日本で上に登っていくのとリンクして、全日本に来てくれるようになって、その後「週刊プロレス」のターザン山本がSWSのバッシング記事を書いて、それを週刊ゴングが擁護してくれるようになってからより親密になったんだ。小佐野君はもともと、猪木さんの応援団だったからね。
そもそも、山本がSWSのバッシングをする発端は、ジャンボ(鶴田)とのシングルマッチの前に、俺が小佐野君に「俺がジャンボに負けたら、全日本を辞めるよ」と軽口を叩いたことだ。雑談でそんな冗談みたいな話をしていたら、見出しがなかった小佐野君がその言葉を使って、ジャンボには本当に負けてしまった。その後にSWSから団体の話があって、ぽんぽん進んでいったんだ。そうしたら山本が「『週刊プロレス』を置き去りにして『ゴング』にだけSWSの件をリークしていたんだ! 許せん!」と勘違いをして、俺へのバッシングが始まった。「誰々に負けたら辞める」くらいの軽口はプロレスラーだったら、誰だって言うだろう。俺が試合前に軽口を叩いて、小佐野君がそれを記事に書いて、本当にジャンボに負けちゃった、というだけの話だよ。SWSの話が来たのはその後だもの。
山本はその後、SWSや俺の悪口を書いて、馬場さんもそれを無下にせず、山本が余計にべったりになった。寄生虫だよ、あいつは。俺が全日本を辞めるときだって馬場さんとは「お互いに交流戦なんかできたらいいですね」「そうだな」って、きれいに分かれたんだから、「おい、山本、天龍とはきれいにわかれたんだから、そんなに悪く書くな」くらい言ってくれてもよかったのに。それを黙って、葉巻くわえてニタっと笑っているだけ。やっぱり大人はいやらしいね(笑)。
山本の話をしていると頭にくるから、小佐野君に話を戻そう(笑)。彼とは試合が終わった後に会場近くの店でばったり会って、一緒に飲み食いするようになって、段々とサイクルが同じになっていったんだよね。それで、ジャンボ鶴田戦なんかの注目の試合があると、今まで来なかった媒体の記者も来てくれるんだよ。せっかく来てくれたんだし一緒に楽しもうと思って、小佐野君に「どこそこで飲んでるよ」って伝えておくと、彼が他の社の人にも声をかけて、みんなで集まってワイワイ飲んだもんだ。記者が来てくれる分には、こちらは一向にかまわないし、当時の新日本プロレスはタイガーマスクがいたりと俄然勢いがあって、全日本も負けたくないっていう気持ちがあったのも確かだ。記者には少しでも全日の記事を書いてもらえればいいなって。後になって思うけど、なんで俺は社長でもないのに、自腹であんなことしていたのかなって……。女房にもよく言われるよ!