沢田蒼梧さん/1998年愛知県生まれ。東海中学校・高等学校を6年連続首席で卒業後、名古屋大学医学部医学科に進学。ピアノは15歳から関本昌平氏に師事。2015年ピティナ・コンペティションG級金賞、18年ジュネーブ国際音楽コンクール最年少ベスト16入選。第18回ショパン国際ピアノコンクール本大会に出場し、2次審査まで進んだ。(写真/本人提供)
沢田蒼梧さん/1998年愛知県生まれ。東海中学校・高等学校を6年連続首席で卒業後、名古屋大学医学部医学科に進学。ピアノは15歳から関本昌平氏に師事。2015年ピティナ・コンペティションG級金賞、18年ジュネーブ国際音楽コンクール最年少ベスト16入選。第18回ショパン国際ピアノコンクール本大会に出場し、2次審査まで進んだ。(写真/本人提供)

■思春期にはピアノがイヤになったことも

 受験期は両立できたピアノだったが、中学2年生のときにはやめようと思ったこともあったという。

「大きなコンクールに出るようになってからは練習時間を増やさざるを得なくて。友だちと過ごす時間もないし、所属していた卓球部にも十分参加できないこともありました。当時は思春期真っただ中。ピアノは趣味のはずなのに、なんでこんなに時間をとられるんだろうと、イヤになったんです」

 だが、最後のつもりで出場したコンクールでの出会いが、改めてピアノと向き合うきっかけになった。

「出場したのはピティナ・コンペティションJr.G級で、当時のぼくにとってはレベルの高いコンクールでした。憧れていたお兄さん、お姉さんたちと同じステージに立てて、仲良くしてもらったことがとても嬉しかった。この人たちともう一回同じステージに立ちたいと決めてからですね、明確な意思を持ってピアノと向き合うようになったのは」

 効率のいい練習方法がわからず、がむしゃらにピアノに向かった中高時代。平日は約6時間、週末は約10時間を練習に費やした。コンクールにもコンスタントに出場し、さまざまな賞を受賞する一方で、学校の成績は常に優秀で、中高6年間すべて総合成績1位で卒業。勉強とピアノの練習はどのように両立させていたのだろう?

「基本的に学校では授業に、家ではピアノに集中するようにしました。学校の授業や教材、先生方のレベルが非常に高く、学校の勉強を頑張るだけで受験にも対応できる力をつけられたのは中高一貫校へ通ったおかげだと感謝しています。ただし、定期テストはもちろん、小テストの類いもおろそかにせず、いつも満点を目指すように心がけていました。普段は帰宅してから寝るまでほとんどピアノを弾いていましたが、試験2週間前になると家でも少しずつ勉強時間を増やすようにしていき、1週間前からはピアノから離れ、試験勉強にぐっと集中するのがパターン。勉強の最中にふっと『あ、あそこ弾けなくなると怖いな』なんて思って、10分くらいピアノを触ることもありましたが」

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